格好悪い人 1 |
あれは入学式直後。俺がサークルの新入生争奪戦の波に飲まれてなんだかよく分からない名前のサークルに拉致られようとしている時だった。よっぽど哀れな光景に映ったのか、救いの手を差し伸べてくれたのが安川だった。 俺よりだいぶ高い身長、ほんの少し猫背気味だけど、肩幅はしっかりあって存在感抜群。地毛だろう真黒な短髪はワックスで上げられて、形の良い太い眉といい男らしさも抜群だった。 そんなあいつがその時、すごい力で俺の腕を掴んで喧騒から引っ張り出してくれたわけだ。掴まれた腕は正直痛かったのに、『大丈夫か?』とかけられた声は驚くほど渋くて、俺は声を失った。 白状しよう。これは一目惚れだ。男相手にそりゃないだろうと思っていたが、観念する日はそうそう遠くなかった。 だってしょうがないだろ。理屈じゃない。大学生になったら適当なサークル入ってたくさん合コンして可愛い彼女作って楽しい学生生活を送るんだと抱いていた夢を一旦リセットすることも厭わない勢いなのだ。 もっとも、本人に伝える勇気なんて、到底ないけど……それが問題だ。でもだって、友達ですら居られなくなることを考えるとそっちの方が辛すぎる。 って、自分がこんなにオトメ(…)だなんて知りたくなかったけどな……まじで。 「で、どうすんの?」 「え? 何が?」 「ちょっとあいちゃん、俺の話聞かなすぎ! もっと耳を傾けてよ! 俺に!」 「はぁ? だってお前のどーでもいい話ばっかじゃん……」 「つめたっ冷たいわーあーんよっちゃーん!」 「あーもう、うるせーなぁ」 この人一倍うるさいのは、友人の小暮。語学の一回目の授業で知り合って以来、なんとなく一緒につるんでいる。でもそれ以上によっちゃんこと、吉野が小暮とは付き合い古いらしい。いつからの知り合いかは知らないが、長いだけあってその扱いはお手の物だ。 「で、何の話だよ?」 「あぁせやから、今日の飲み会これる?」 小暮の代わりに吉野が言った。 授業が終わってから、いつの間にか合コンの話になっていたらしい。 本当に、小暮は飲み会が好きだ。てか女の子が好きらしい。 そしてそんな合コン大好きな小暮を生温かい目で見つめながらも何だかんだで面倒見ている吉野はすごいと思う。同じ関西だから? しかし俺にこの煩さは無理だ。見てると殴りたくなる。前に一度どついたら『これ以上(頭が)ひどくなるとさすがに可哀想やからやめたげて』と吉野に言われたから吉野のためにも我慢するようになったけど。 「あー……それって、安川は?」 「安川? 今日のは誘ってないけど。足りんの一人だけやし」 「何あいちゃん、安川行くなら行くって?」 「や、そういうわけじゃねーけど……」 とんでもない、むしろその逆だ。 だってあいつが女の子といちゃついてるとこなんて見たくないから、安川が行くなら行きたくない。だってあいつ誰にでも優しいから絶対もてるし……あぁでも、告白する勇気がないんならいっそのこと安川に彼女でもできた方がいいんじゃねーの。そしたらきっとその優しさは彼女にだけ向けられることになるし、その方が俺も諦めがつくし……ってやばい、考えただけで落ち込む。 「あいちゃん?」 「あ、いや……俺より安川誘えよ」 「えー、何でよ」 「その方が、女の子も喜ぶだろ」 「そーか?」 「え?」 そーかってそうだろーが! と声を大にして言いたかったところだけど、グッと抑えた。 「俺はあいちゃんのがイイなぁ〜」 「キモイ」 反射的に言ってしまってから、ハッと気付く。男に向けられる好意とか、安川も気持ち悪いとか思うよなぁ……いやいや、何にでもあいつを繋げるのは良くない。精神衛生上良くない。とは思うんだけど……はぁ。 密かに落ち込む俺の前で、そやなぁ、と吉野が冷静に言った。 「相田のが女受けはイイんちゃう?」 「はぁ?! 何言ってんだあいつのが格好良いだろ!」 思わず反論してしまった。 だって吉野まで、あんな男前捕まえて何言ってんだ! 「こないだも女の子の反応イマイチやったなぁ。『無愛想すぎ』って影で言われてたし」 「はぁ?!」 あでもそれはちょっと安心……っていやいや、彼女出来た方がいいって思ってたとこだろーが。 無愛想というか、まぁ確かに、小暮みたいに自ら場を盛り上げるタイプではないし、たまに「話聞いてる?」と不安になるくらい黙ってる時もあるけど、でも本当はちゃんと聞いてくれてるし、静かにふっと笑う時とか、もう死ぬほどかっこいいし……そうだそれに。 「あいつ、誰にでも優しいだろ」 俺が言うと、2人は同時にきょとんとした顔を見せた。 ん? 「えー、人並みちゃう?」 「……」 この温度差の違い……なんだ、どうなってんだ。 ツ、と背中を冷や汗が流れる感じがした瞬間、小暮がぽつりと言った。 「あいちゃん、褒めすぎ……」 「……」 これはつまり、そういうことか。世間の反応に反して、自分だけが特別に格好良いとか、思ってたとかいう…… ってどんだけ好きなんだよ、俺! 都合の良い脳内変換までしてんじゃねーよ……! 「お、ちょうどいーところに。おーい安川!」 誰を探しにきたのか、講義室を覗いた安川を小暮が呼び止めた。 訳もなく逃げ出したくなった。いや、訳はちゃんとある。だって今まともに顔見たら絶対赤面する。ってもうしてるかもしれん。いや絶対してる。 ていうか小暮お前呼び止めて何を聞く気だ! コンパの誘いだけならまだしも、俺がどうこう言ってたこととか言われたら……いや駄目だ怖くて居てられん! 「俺、帰るわ! 今日はパスな!」 「え?」 筆記用具を鞄に詰め込みながら立ち上がり、近づいてくる安川の顔も見ずに俺は部屋を飛び出した。 ショックだ。なんだ、この自分。もう自分すらだませないくらいに惚れてる。ていうか絶対あいつらにも変だって思われてるし。 初めて会った時、その助けてもらった時、その直後で何で見ず知らずの人間を助けてくれたのかと聞いたら、どうも入学式の時に会っていたらしく、俺はまったく覚えていなかったんだけど、向こうは覚えていてくれたみたいでそれを聞いてものすごくうれしかったのだ。 待てよ。となると俺一目惚れってわけじゃないのか。それならその入学式の時に惚れてるはずだよな。会ったことすら覚えてないし。となると、助けてもらったから、惚れたとか……吊り橋効果とかいうヤツじゃねーか。 うわ、笑える。どこまで乙女思考だよ。もう………………消えたい。 何度目か分からない、深い溜息をついて、俺はベンチで肩を落とした。腕時計に目をやると、次の電車まであと15分はある。 ズボンのポケットにある携帯電話にはメールも着信もなし。ということは、今日の合コンはきっと安川が行くんだろう……はぁ。出るのは溜息ばかりだ。 「彼女、できるかなぁ……」 「誰に?」 「……」 幻聴? と思ったが、振り返って後ろを見上げた瞬間俺の口は「あ」の形でストップ。 ちょっと待て、心の準備ができてない……!(字余り) 「彼女、欲しいのかよ」 そう言って、隣にどすっと安川が座った。いつもの、からかうような言い方とはどこか違う。そんな違和感を感じながらも俺は聞かずにはいられなかった。 「お、まえ……なんでここにいんだよ。合コンは?」 駅に来るということは、安川も家へ帰るコースだ。実家暮らしだから。 って、行くんじゃなかったのかよ。 「行かねぇよ」 「何で」 「お前こそなんで俺に行かせんだよ」 やっぱりどこか、機嫌悪そうな声だ。長い足を投げ出して、前方に視線を流している。俺も面と向かって顔は見れないから前を向いたまま固まるしかない。 しかし、どこまであいつらに聞いたんだ。俺がやたら格好良いやら優しいやら言ってたことまで知られてたとしたら……あ、もしかしてだから機嫌悪いとか? 気持ち悪いとか、思われてんのか……? 「何で、って……」 何か言わないと、と思って出た声が情けない感じに掠れてて、尚更泣きたくなった。 もう嫌だ、辛い。 別に付き合ってほしいだなんて思ってないのに。ただ、友達でいいから一緒にいたいって、そう思ってるだけなのに――― 「俺のこと好きなんじゃねぇのかよ」 「………………は?」 幻聴? と思ったが、反射的に横を向いたら目が合った。 何だそれ、バレてたってことですか……!(字足らず) 「ななっ、なに言ってんだよ……」 いやしかしこれはどうすれば……肯定すれば嫌われる、しかし今更否定してもこの状況で無理があるだろ……てかもう無理だよな、今俺顔真っ赤だし! あぁこんなパターンは考えてなかったぞ……! 冷や汗流して固まる俺とは正反対に、安川はどこまでも男前な堂々とした態度で言い切った。 「今更違うとか言わさねぇぞ」 「な、何で……」 しかし、何故バレる。もしかして日頃からよっぽど態度に出てたとか? そんな……想像しただけで灰になれる。そして風に乗って散り散りに飛んでいきたい…… 「お前、俺のこと勘違いしてるから言っとくけど」 がしがしと頭をかいて安川が言った。 「俺別に誰にでも優しいわけじゃねぇから」 「え?」 「お前だからだ、馬鹿」 「………………」 ……はぁ? あまりの男前なセリフに、聞き惚れすぎてフリーズしてしまった。 て、か、それって…… 「お前に好かれてると思ってすげー喜んでたんだけど」 「……」 「それで何で合コン勧めてんだよ」 「それ、は……」 「俺に彼女できてもいいって?」 不機嫌そうな声に、焦った。 それはだって、叶わないのなら、その方が良いと思ってた。けど、本当はそんなの想像するだけで苦しくなって…… 「いい加減、白状しろよ」 手が伸びてきて、俺の頬に触れた。痛くない程度につねる指に、きゅうっと心臓が縮む音がした。 今までふとした接触でもしようものなら自分の体がどうにかなる前に離れるようにしていたけど、今回ばかりはその目が許さなかった。目をそらすことも許されない。 あぁ。やばい、やっぱ格好良い。心臓止まりそう。 と、こっちは必死だってのに、さらに心臓に悪いことを奴は言った。 「ちゃんと言ったら、聞いてやるから」 ―――なんだって? 「……マジで……?」 言ったら、聞いてくれんの? 何だよそれ、何のご褒美? 思わず喉がなった。 安川がもう一度言った。 「俺が合コンに行ってもいいのか?」 この異様に近い距離にある目と、単純な質問にも関わらず噛んで含めるような言い方に、俺の思考はぶっ飛んだ。 そんなの、考えるまでもない。 「いや、だ……」 掠れた声が出た。 満足そうに細められた目が俺の視線だけでなく、全神経を奪っていく。頭のてっぺんから足の先までが全部自分の感覚じゃなくなったみたいだ。 「俺のこと、好きか」 「ん……うん……」 好き、好きだ―――― と、言う前に目の前に影が出来た。 「こらこらキミ達場所を考えようネー」 「げっ……小暮?」 と、吉野も一緒だ。何故?! ていうかそうだここ駅のホームだ! ていうか今のどっから見られた?! 「あーあ、心配になってきて見れば……」 やれやれ、と小暮が肩をすくめた。え、つーか何で来るわけ? 「心配ってかお前、ただ見たかっただけやろ」 という吉野を押しのけて小暮が安川につめよる。 「安川ぁ、あいちゃんお前には逆らえんのやからお前がしっかりせなあかんやろ!」 「な、な、何言って……!」 逆らえん、って……いやまぁその通りだけど……ちょっと待てそれって、もしかして、こいつらにもばれていたのか……?! 一瞬血の気が引いて、次の瞬間どっと顔が熱くなった。 な、な、なんてことだ……! 呆然自失の俺の隣で、安川は「うるせーな」と2人を睨んだ。 「別にいいだろ。見せつけてんだよ」 「あ、開き直りよった」 見せつけてた、って…… びっくりしてその顔を見ると、安川は舌打ちをして小暮の足を蹴った。 「いたっ、せっかく助けたったのにっ」 「余計なお世話だ」 「お前やなくてあいちゃんがカワイソウって言ってんのっ」 「それが余計だっつってんだよ」 「あーもうおまえは……て、あいちゃん? 大丈夫?」 「…………」 全然、違うんだな。 伝えるつもりなんて始めからなくて、誰にも知られたくなくて、ずっと隠していた俺とは正反対だ。ほらやっぱり、男前じゃないか。本当に。 「好きだ……」 思考能力がなくなったみたいだ。今まであんなに拒んでいた言葉が驚くほどポンと出てきた。スイッチ押さなくても出てくるなんて本当、壊れた機械そのものだ。 目の前の顔は少し驚いたように目を開き、その直後、頭を抱き寄せられていた。 「んなっ……!」 「分かったから、そういう顔他に見せんな」 「え?」 ぎゅっと顔面を胸に押しつけられた。安川の、胸筋……! 何だこの状況っ……いきなりハードル高すぎだろう! やばい何だこれ、俺もう死ぬんじゃないかな。幸せすぎて。 「もー分かったから……俺らがはずかしすぎる」 勘弁して、と吉野。あ、呆れられてる。 「くっそー、大事にしたれよ安川!」 「わかってるよ」 「って言ってる傍から苦しそうやで」 「……あ」 苦しくったって恥ずかしくったって、この腕の中なら悔いはない…… 「しっかりしろ、相田―――」 壊れた機械だってんなら、惚れた時点で壊れてたんだ。 夢に見ることすら罪悪感で出来なかったその腕の中で、俺は一瞬意識をとばしてしまった。 |
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