シャリンデイズ -その後-


「は? 何それ」
「何って、見りゃわかるだろ」
 いや、何かは分かる、何かは。だからそうじゃなくて、理解できないことだから聞いてるんだけど。
「買ったんだ」
 そう言った克志の右手は、自転車のハンドルを掴んでいた。真新しい、赤いボディの自転車。ピカピカだ。
「だからもうお出迎えはいいからな」
 じゃなくて。それ。ちゃんと目見て言えよ。とか。
 え、ていうか本気でわかんねぇ、何でそういう展開になってるわけ?
「あ、そうだ忘れてたんだけどさ、これ」
 何も言えないでいる俺を無視して、克志は学ランのポケットから何かを取り出した。
「昨日女子から預かってたんだ、手紙」
「は?」
 何のためらいもなくそう言って俺の手に押しつけてきた。
「同じクラスの子だけど結構可愛いぜ? よかったな、テツ」
「……」
 いやいや待って、意味がわからないから。
 俺は手の中に押しつけられた明らかにノートの切れ端を速効握りつぶした。
「なぁ……俺昨日、克志のこと好きだって言ったよな」
「な、んだよ」
 俯いた克志の頬がうっすら赤くなる。よかった、そこは分かってるんだな。でも。
「それで何でこの仕打ちなわけ?」
 苛立ちを頑張って抑えようとすると自然と声が低くなり、結果的に伝わってしまうだろう。ましてや幼馴染なら尚更だ。隠したつもりでも感情の行き先なんてきっとバレバレに違いない。
「何で?」
 なんと、予想外の返しだ。
「関係あるのか? それが」
「は?」
「俺は俺、女子は女子だろ。全然別じゃん」
「克志……」
 ごまかしてるのかと思いきや、その顔はどうやら本気だ。本気で「関係ないじゃん」って思ってる顔だ。
 あ、やばい、俄かに焦りが。
「ちょっと待て、克志」
「あ? 何だよ学校遅れるだろ」
 じゃとりあえず歩きながら、と家を出る。二人ともがチャリを手にして歩くなんてまったくおかしな光景だ。まぁ全部克志がチャリなんか買ったせいだけど。ずっと送り迎えさせてくれるって約束したくせに。
「――あのさ、俺は克志のこと好きだよ」
「なっ、何回も言うなっ」
「で、克志は、俺のこと好き?」
「っ!」
 隣を歩いていた克志が息を飲んで俺を見た。
「どっち?」
「……」
 ちょっとずるい聞き方とは思うけど。
「どっち、って言ったら……」
「言ったら?」
「っ……」
 顔をそらした克志は耳まで赤くして地面を見ている。顔を隠している黒い髪を掻き上げたい衝動に駆られるが今手を出すのは良くないと本能で分かる。触りでもしようものならいいきっかけとばかりに切れて「触んなバカ!」とか言ってチャリに乗ってさっさと行ってしまいそうな予感満載だ。長年の付き合いは便利でもあり、しかし時に余計なストッパーにもなる。だって今までだってこの関係を壊したくなくて一体どれだけ我慢してきたことか。
「嫌いじゃ、ねぇよ……」
 どこかふてくされたような声で克志は言った。
 ずるい答え方。お互い様だな。
「じゃあ、両想い? 俺達付き合ってる?」
「っ……調子のんな、バカ」
 あ、でも、全否定はない。てことはやっぱ自覚はあるわけだよな?
「じゃあ何でこんな手紙受け取ってくんの。しかも渡そうとするの」
 挙句の果てに「よかったな」って。何がよかったのか全く理解できないのは俺がおかしいんだろうか、いやそんなはずはない。
「や、だから関係ないだろ、それは」
 そうして克志からはやはりその主張。
「何で? 関係あるだろ。何で付き合ってる相手に他の子紹介すんのよ」
「は? 別に紹介とかじゃねぇし。頼まれたから渡しただけじゃん。受け取るくらいしたっていいだろ」
「だから何で頼まれるのって言ってんの。俺のこと好きならさ、普通断るでしょ、そんなの」
「すっ……きでも、女子の手紙は関係ないだろ」
「ぜんぜん関係なくないし。じゃあ何、手紙もらって俺が女の子と付き合うことになってもいいってこと?」
「お前、その女子のこと好きなのか?」
「違う、好きじゃない。だからそれは例えだから。もしそうなってもいいのかってこと」
「お前にその気ないなら問題ないじゃん」
「いやだからそういう問題じゃなくて」
「何だよ、今までだって何回もあっただろ、手紙くらい。何でそんなにこだわってんだよ」
「こだわるっていうか、おかしいって言ってんの」
「何で俺がおかしいんだよ」
「もう何でだか俺もわかんないよ」
 えええ、何この展開。
 おかしい。まだこんなに分かりあえてないことがあったなんて……その事実にショックだ。
 明らかにお互い苛々した状態、朝っぱらから雰囲気最悪。
 克志は鼻を鳴らしてとうとう自転車にまたがってしまった。
「悪かったな、頭悪くて! どうせお前みたいに賢くねーよ!」
「あ、」
 捨て台詞を吐いてあっという間に漕いでいってしまった。
「……はー……」
 難しい。幼なじみとの意思疎通でこんなに難しい論点があったなんて。
 チャリに乗る気にもならなくて、このままサボってしまおうかと思ったが、そういえば今日の4時間目の英語は小テストだったと思いだしてとぼとぼと歩き始めた。

 しかし本当に分からない。
 確かに、今まで一緒に遊ぶ時に恋愛に関するネタを持ち出したことはあんまりなかったし、むしろ俺の方が避けていたところはあったけど、言われてみれば克志の恋愛観なんて何一つ知らないかもしれない。小・中学の時はまだ女子に奥手なタイプだったからずっとそのままで居てくれと安心していたのだが、高校となると俺の知らない仲間に囲まれて、どんな話をしているのかまったくわからないし、こうやって普通に女子に手紙を渡されている所を見ると既に仲の良い女子だって何人かいるかもしれないし、もしかしたら実は付き合ってた子もいたのかもしれない。この辺は考え出すと止まらなくなってくるから考えないようにはしているんだけど。
 俺の克志依存症は筋金入りだ。何せ幼稚園の頃からだから。あの頃克志は体が弱くて、見た目も他の子より小さいせいかものすごく庇護欲をかきたてられる存在だった。だけど毎日向けられるその笑顔を見ているうちに、他の女の子よりも誰よりも克志のことだけが一番な存在になっていって、気がついたらそういう意味で好きだった。自分だけに向けられるわがままも何もかも愛しい。克志が俺に甘えてる、と周りには見られてるみたいだけど全然逆だ。克志がいないと俺が駄目になる。だから高校が離れた時は絶望的でかなりやさぐれたもんだが、送り迎えができるとなった時は本気でうれしかったのだ。不謹慎だが自転車盗んだ犯人に感謝したくなったくらいだ。だから本当に克志が俺に悪いと思っていたのならそれはお門違いなことなのに、きっとそう言ったって克志は信じないだろう。今日だって自転車買ってくるし。そう、昨日の今日でだ。
 おかしいだろ、だって昨日両想いになったんじゃなかったのか? もうチャリの二人乗りなんて普通な状況なんじゃないのか。挙句、女子からの手紙を渡されるし。わけわかんないこと言うし。
 本当に、何がいけないんだろう。


「付き合ってる自覚ないんじゃないのか?」
「うそ、マジで?」
「や、わかんねーけど。つか何で俺に言うよ」
 別に知りたくなかったんですけど、と眉をしかめて嘆く薄情な男は、小学校から同じだった倉科陽平。今ハヤリらしい草食系眼鏡男子を地でいってるような男だ。そして一番羨ましいのが克志と同じ高校へいってるということだ。だから(と言ったらさすがに怒られるが)たまにこうして会って話したりもしている。
「いいよなーお前は。同じ学校で、しかも同じクラス」
 あーあ、と盛大な溜息と共に言う俺に、陽平はハイハイと素っ気ない。
「俺は別にうれしくもなんともないけどな」
「お前には身に余る光栄だよ」
「あーそうですか」
 もうなんとでも、といったあきれ顔で陽平はチーズバーガーを食べきった。
 こいつには、俺の克志に対する気持ちは小学校の時からばれていたらしい。なかなか目敏い奴だ。頭もいい方だから俺と同じ高校でもいいくらいだったのに、克志と同じ所を選んだというので俺は一時期疑惑を抱いたりしたんだが、実際のところ彼女が居たことあったし、どうやら部活で選んだということが分かって安心したものだ。でもこいつにすら分かった俺の気持ちが、こいつ以上に一緒にいた克志にはまったく伝わってなかったというのが驚きだ。鈍いというかなんというか。でもそこが可愛いんだけど。
「で、今日は捕まえられなかったのか?」
 陽平が聞いてきた。克志のことだ。そりゃ別々のチャリで登校したのにいちいち迎えに行くのはおかしいだろうけど、でも一応行こうとしたのだ、一応。だけど。
「今日委員会じゃないのか?」
「は? あいつ委員会なんて入ってねーぞ。あいつがそんな面倒くさいことするわけないって知ってるだろ」
「……」
 なんだって?
「ふられたな」
 あはは、と軽やかな陽平の笑いがむかつく。いやまじで、こっちは結構凹んでるんですけど。
「んだよ、それ」
 チャリを買ったと言われた時も驚いたけど、やっぱり、そういうことなんだろうか。チャリ買ってまでも、委員会とか嘘ついてまでも、俺と一緒に登下校したくないって、そういうこと?
「何で……朝ちゃんと気持ちの確認したじゃん!」
「いや、知らねぇし」
「ちゃんと両想いだったじゃん!」
「ちょ……テツお前声でかい」
 周りの客に笑われてるけど結構どうでもよかった。もう本当どうでもいい。克志以外のことなんて。
 あぁ会いたい。会ってどういうことか問い詰めて、俺には克志がいないとだめなんだってことをとことん思い知らせたい。だって本当にだめなんだ。小さい頃は克志の方が病弱だったけど今じゃ正反対なくらい。どうしたらいいんだろう。どうしたら伝わるんだろう。
「―――あ」
 陽平が小さな声を上げた。特に気に留めるつもりもなかったんだが、陽平が変にとりつくろうとしている気配が気になって、その視線が向いていた窓の外を見ると、道路を挟んだ向こう側の歩道に克志の姿が見えた。チャリを手におして、隣には、女の子。
「……誰、あれ」
「あー……多分、隣のクラスの女子? かな?」
「仲良いの?」
「さぁ、俺は知らねぇよ?」
 何それ。何その楽しそうな顔。そんな顔、最近俺に見せてくれたことないよね。
 やばい。嫌な感情が増幅していく。
「俺……暴れたらどうしよう」
「耐えろ、耐えるんだテツ」
 無理です。
 だってあんなの見せられて……無理に決まってる。



「――あ、」
 ストーカーみたいで嫌だったんだけど、この際そんなことは言ってられない。
 家の外で待ってた俺を見て、克志はゲッという感じで顔をしかめた。また逃げられるかと思ったけどさすがに自分の家を前にしてそれはないようで、チャリを置くと渋々俺に近づいてきた。
「おかえり」
「……んだよ」
 何その怒った顔。本当にもう怒りたいのはこっちの方なんだけど。
「何で嘘ついたわけ?」
「何が?」
「……」
 あぁもう本当に。
「あのなぁ克志――」
「あら、二人ともどうしたの?」
 玄関を開けたのは克志のおばさんだった。
「あ、こんばんは」
「こんなとこで立ち話? 変なの。早く入りなさいよ。あ、てっちゃんもご飯食べてく? 今日は肉じゃがよ。おばさんの肉じゃがはおいしいわよー」
「あーもう母さんうるさい」
「まっ失礼ね! そんなこと言うかっちゃんの分はお肉減らしてあげるから」
「なっ、やめろよそういう地味なイジメは!」
「ところがその肝心のお肉買い忘れちゃったのよねー。ということで今から買いに行ってくるから、二人ともお留守番よろしくね」
「あーはいはい、わかったわかった」
「まっいい加減な返事!」
「わーかーりーまーしーたー!」
 相変わらず遊ばれてるな、克志。さっき怒ってたのも忘れて思わず笑ってしまった。
 おばさんがチャリに乗って行くのを見送ってから、克志は玄関を開けた。思わず立ち止まる俺を、克志は小さく振り返る。
「夕飯……食ってくんだろ」
「……うん」


 さぁ、何から問い詰めていこうか。
 おばさんのおかげでちょっと怒りが薄れてしまったけど、でもここでちゃんとしとかないと今後のことに関わってくるからな。
 そんなことを考えながら克志の後に続いて部屋に入ると、早々にベッド横のパイプ棚にでかい某パンぬいぐるみを見つけてしまった。こないだ克志がゲーセンで取ったとかいうやつだ。いいな、お前は毎日一緒で。なんて本気でライバル的なことを考えてしまったが、現実にもっと手強いライバルを発見してしまったからそんなことしてる場合ではない。
 しかし先手を切ったのは克志だった。
「お前、怒ってる?」
「……」
 脱いだ学ランをハンガーにかけ、克志が探るように言ってきた。
 不意打ちだ。でも動揺は見せないように、じっくり言葉を考える。
「分かってるんだったら何で怒らせるようなことするんだよ」
 俺が克志のベッドに座ると、克志は勉強机の椅子に座った。片足を上げ、その膝に顎を乗せて抱える様子は拗ねてるようにも見える。くそ、可愛い。いきなりくじけそうだ。
 おかしいとは思うよ。小さい頃から克志しか恋愛対象になったことがないとか、言ったら引かれるくらいやばいんじゃないのとか思うよ。でもどれだけがんばっても軌道修正できなかったんだからどうしようもない。まぁ、そんなにがんばってなかったけど。開き直ってたからな。
 俺だってずっとただの幼なじみのままでいいと思っていたわけじゃない。克志にばれると怒られそうだが、計画的に、少しずつ慣れさせる感じで分からせるつもりだった。チャリでこけた時のどさくさに紛れての初めてのキスも、冗談じみた告白も、警戒させたくなかったから。克志は単純ではないけど鈍感な所があるから、少しずつ体に染み込めばいいと思ってたのだ。
 でも、こうなることが分かってたら早々に軌道修正するべきだったのかもしれない。克志が、嘘をつくほど俺とそういう関係になるのを嫌がるのなら……俺がどれだけ迫っても無理なのなら。
「――克志、好きだよ」
 チャリ買ってまで俺との2人乗りが嫌だったのとか嘘ついてまで俺と会いたくなかったのとかあの女子誰だよとか聞きたいことはあったはずなのに、結局その一言に収斂されてしまった。馬鹿みたいに真っ向勝負。でもそれは朝もくり返した会話だ。克志もそれは覚えていたみたいで、朝の時のように顔を赤らめた。
「っ……」
 そしてまた朝のように「何回も言うな」と怒られるかと思っていたが、予想外の言葉が返ってきた。
「あーもう、俺も好きだって言ってんだろっ」
「……」
 びっくりした。何それ、超予想外。
「って、何でそんなヤケなの」
「う、うっさいなっ」
 慌てて顔を腕で隠す動作とか可愛すぎる。にやけるのを我慢して俺は調子に乗って言ってみる。
「それはどういう意味で?」
「は?」
「どういう意味の好き?」
「なっ……どっ……」
 明らかに困った顔だけど、でも許すつもりはない。だって肝心なのはそこでしょ。分かってるか分かってないか分からないけど。まぁ分かってないんだろうな。
「お前っ……」
 追いつめられた逆切れか、むっとした顔で克志が睨んできた。
「だったらお前はどういう意味なんだよ!」
「は?」
 俺に聞くの、それを。
 自分が答えられない問題だからって俺も答えられないと思ったら大間違いだよ。
「俺はね、克志」
 立ち上がり、椅子の背もたれに手をかけて克志を閉じ込めるように見下ろすと、見開かれた真黒な目が吸い込むように見上げてきた。そして何か言いかける前にその唇を塞ぐ。息を飲む音が聞え、そんなことくらいで自分の体がカッと熱くなるのを感じた。
「っ、やっ……!」
 声が。想像してた以上の威力で俺の耳を刺激する。 
 可愛い、克志。
「ん……やめ……っ、テツっ――!」
 息をついた隙に思い切り突き飛ばされてしまった。その反動で克志も椅子から転げ落ちるように床に座り込んだ。
「何すんだよ、いきなりっ……」
 俺を見上げるその目はもう涙目になってる。あぁもう、やばい。口を抑えるその手を捕まえて、ベッドの上に引きずり上げる。仰向けに押し倒すともうその時点で余裕なんかない。首筋にキスを落とすと克志の匂いで満たされていくのが分かってくらくらしてきた。
「ちょっ、テツ……?!」
 克志の匂いだ。おいしそう。舌を伸ばして舐めると引きつった声が上がる。可愛い、やばい、止まらない。
「やだ、やめろって、ばかっ――!」
 シャツをたくしあげる俺の手を止めようとする克志の手が――震えていた。
「……克志……?」
「っ……お前、怖いっ……」
 ぎゅっと目を閉じて縮まるその姿に、俺は声をなくした。
「……」
 あぁ、何してんだろう。こんな、泣かせるつもりじゃなかった。
「……ごめんね」
 そっと頬を撫でると、それだけでびくりと肩が揺れる。
「でも、俺のはこういう意味なんだよ」
 掴んでいた手を離し、体を起してベッドに腰掛けると、克志もゆっくりと起き上がってきた。赤い目。ごめんね、ともう一度心の中でつぶやく。幼稚園の記憶がフラッシュバックする。ごめんね、かっちゃん。
「克志が……こういう意味じゃないんなら、俺も無理だよ。克志の考えてる「好き」には、俺もなれない」
 やっぱり無理なんだ。そう自覚すると一気に脱力感が襲ってきた。
「ごめんね」
「っ……待てよコラ!」
 背中にボスンと何か投げられて、振り返ると例のぬいぐるみが落ちていた。可哀想に、あんぱんちどころか捨て身の攻撃じゃないか。それを拾い上げて克志を振り返ると、乱れたシャツを直しもせずに仁王立ちで俺を睨んでいた。
「克志?」
「お前っ何でもかんでも謝ればいいと思ってんだろ!」
「は?」
 確かに最近謝ってばっかな気もするけど。
「しかも謝るポイント違うし!」
「違うの?」
 それは知らなかった。つか、克志の方こそ怒ってるポイントって……
「お前、手ぇ早いんだよっ!」
「……はい?」
「お前は慣れてるかもしんねーけど俺はっ……まぁその、慣れてねぇんだから……それなりに気遣いってもんをだな……」
「……」
 うわ、何、なにその可愛い言動。冷めたはずの熱が一気に復活してきてしまった。なんて単純すぎる体。だってこんな涙目赤い顔で怒られても、拗ねてるようにしか見えないし。
「……ちょっと待って、じゃあゆっくりだったらやってもいいの?」
 やる、という単語は気に食わなかったみたいだが、克志は唇を結んで目を逸らした。
「嫌だなんて、言ってないだろ……!」
 何だよそれ!
 思わず抱きしめたくなるのをぐっと抑えた。
「じゃあ克志も同じ意味で好きでいてくれてるわけ? 本当に?」
「あーもうしつこい!」
「克志……」
 うそだろ、うれしい。
「――でも、じゃあ何で? 俺を避けてたの」
「……」
 克志は小さく舌打ちすると、ベッドにドサッと座り込んだ。隣に座るくらいはいいよな、と、俺も克志の隣に座る。
「控えようとしたんだ」
「……は?」
「だってお前もてるし」
 ちょっと待って意味が分からない。と本気で思ったが、これだとまた朝の押し問答みたいなのがはじまりそうな予感がして、口は挟まないことにした。
 黙ると黙るで、克志は一瞬不安そうな目を向けてきて、それがまた抱きしめたくなるような顔なもんだから口より先に手が動きそうになったが、これもまた耐える。俺、えらい。
「で?」
 促すと、克志は観念したように静かに話し出した。
「――お前はさぁ……俺に、好きとか言ってくるけど、俺お前に迷惑しかかけてねぇし、そんなん言われんの不思議なくらいだし、それ考えたらいつまでそう思ってくれんのかすげぇ疑問になるし、お前のこと好きな女子とかもたくさんいるし、そうなったらいつまでも一緒にいられるわけないよなと思って、そうやっていつか別れるんなら、どうせ傷つくんなら傷が浅いうちの方がいいよなと思って」
「……だから、距離置こうとしてた?」
 思ったより低いところから声が出てしまった。けど。
「だって、女には勝てねーもん……」
 泣きそうな顔でそんなこと言う克志を目の前にすると、もうどうでもよくなってしまった。
 あぁもう、充分勝ってるよ。だからこんなに参ってんだよ。
 本当に、手放せるはずがない。
「あのなぁ……何ではじめからそんな疑われてんの、俺。そんなに信じられない?」
 怒るよりも呆れたように言うと、克志は「そういうわけじゃねぇけど」と言葉を濁した。俺は溜息をついて言った。
「さっきさ、俺のこと慣れてるとか言ってたけど、俺、女の子とも誰ともやったことないよ」
「……まじで?」
「幼稚園のころから克志一筋だからね」
「……」
 丸い目が俺を見上げてきた。本気で驚いたような顔だ。そして。
「お前、大丈夫か?」
 そうくるかー。ガクッと肩を落としてしまった。
「ちょっと、今の喜ぶところじゃないの」
「いや、だって、不憫な奴だなーと」
「何でそうなんの。全然不憫じゃないし」
「だって幼稚園ってお前……」
 そう言って俯く顔を覗き込むと、隠すように背を向けられてしまった。もしかして、照れてる?
「そ。筋金入りだからね」
 白いシャツのその肩にそっと手を伸ばす。抵抗がないのをいいことに両腕で抱きしめる。克志の背に俺の鼓動が響いてる。熱い。
「好きだよ」
 うなじに口づける。
「また離れようとかしたら許さないから」
「……ん」
 小さく肯いて、俺の腕にそっと手が重なった。
 あぁもう、ゆっくりって、どんだけゆっくり進めばいいんだ。自制心、自制心……でもさっき涙目で抵抗する克志も思い出すだけでやばい可愛さだった。いやいや、そんなことすれば今度こそ本当に嫌われて……
「なぁ……当たってるんですけど」
 もぞ、と克志が身じろぎした。
「……バレた?」
「バレるわ!」
 真っ赤な顔で俺の両手を振り払った克志は、てっきり逃げ出すかと思いきや、じっと考え込むるように視線を床に向けている。
「克志?」
「……で、いいなら……」
「え?」
「だからっ……あーもう!」
 何を思ったのか、克志に押し倒されるというまさかの展開に。
「え……え?!」
 なになに、もしかして克志入れたい側だったりする?
 とか思ってると、俺に跨った克志が何やら怪しげな動きをし始めた。
「ど、どうしたの克志、ちょっと待って?」
「だからっ、手でやってやるって言ってんの!」
「はぁ?」
「何だよ、嫌なのかよっ」
 いや、何その願ってもない状況。びっくりだ。
「えーっと、じゃあ、お願いします?」
 俺が肯くと、克志はやや緊張気味の表情で俺の制服のズボンを脱がし始めた。
 うわぁ、なんか夢じゃないだろうか。まさか頼んでもいないのにこんなことしてもらえるなんて。この見下ろしたアングルをビデオにでも撮っておきたいくらいだ。
 俺の前をくつろげて、克志の手が恐る恐るといった感じで俺のに触れてきた。やばい、克志が触ってると思っただけでもういきそうだ。自分で想像してやってた時とは全く比べ物にならない早さで終わってしまいそうな危機を感じて、俺は上体を起こした。
「あっ動くなよ」
「克志、俺もしたい」
「へっ?」
 許可を得る前に克志に手を伸ばす。
「やっ、だめだめ絶対だめだって!」
「何で? 克志だけずるい」
「ずるいって何がだよ! わけわかんねぇ!」
「だって克志だってもうこんなじゃん」
「っっっ!」
 同じようにズボンを脱がすと、下着の中で窮屈そうにしてるそれが顔を出した。
「すごい、俺の弄っててこんなになったの?」
 うれしくて暴走しそうな気持ちを抑えて言うと、克志は真っ赤な顔で「違う」とつぶやいた。
「お前が、キスとか……するからだろっ……!」
「……」
 てことは、もっと前から? ていうか、さっきのキスでこんなになるってことは俺、ちゃんと好かれてるって思ってていいんだ?
「ごめんね、気付かなくて」
 言い終わるや否や片手で克志の顎を持ち上げ、唇を重ねた。
「んっ……」
 きつく目を閉じながらも唇は緩く開かれ、吐息を混ぜるように舌を絡めた。同時に下着の中に手を入れて直に刺激すると克志の肩がびくびくと揺れた。
「やっ、あ……テツっ……」
 声が甘い。たまらない。一滴たりとも漏らさないよう味わいながら、溶けきった頭で手を上下させると、震える手が俺のシャツにしがみついてきた。
「うっ、だめっ……!」
「っ……」
 だめなのはこっちの方だ。そんな声一つで俺の心臓は倍以上の速さで動いてしまう。
 突き放すように腕に力をこめられてももう遠慮できる余裕なんかない。自分のをいじる時とは全然違う、どこか逸る気持ちを持て余しながら手を動かしていると、やがて熱いものが手を濡らした。
「っ、あ……最悪だ……」
 びくびくと震えながら出し切った克志は、泣きそうな顔でぐったりと凭れてきた。火照った頬、赤く充血した目も、2人分の唾液で濡れた唇も全部色っぽくてくらくらする。
「何で? 嫌だった?」
「俺、はやい……」
「そう? 俺はその方がうれしいけど」
 そう言って克志の放ったものを舐めると、うわぁ、と克志が目を見開いた。
「何やってんだ!」
「ん、おいしいよ?」
「んなわけあるか――ッ!」
「克志も舐めてみる?」
「いらね―――ッ!!」
 にぎやかだなー。まぁ克志ぽくていいけど。
 仕方なくティッシュで手を拭いていると、克志がふと視線を落とした。その先は、中途半端で放置されてる俺の。
「……AVとかでさ……」
「ん?」
「よく、口でしてるよな。女優さん」
「……ん?」
「気持ち、よさそうだよな……」
「…………」
 待って、何、何覚悟決めてんの。まさか。
 予想外のことすぎて動けない俺の目の前で克志の頭がゆっくりと下がり、次の瞬間には放置されてたにも関わらず半立ちのそれが熱く濡れたものに覆われていた。
「なっ……何やってんの!」
「ん、んー……」
 わ、しゃべるな歯があたる。
 しゃべりたいなら離せばいいのに、何を意地になってるのか口に入れたまま、克志は何か言いたげに俺を見上げてきた。
「っ……!」
 だから、やばいからそれ。視覚で俺を殺す気? いやもう本当に俺今日死ぬんじゃないだろうか。幸せすぎるだろ、これは。
 こんな目に遭って我慢しようとか思うのはまったく無意味なことだと身をもって知る。あぁもう、早くても最悪でもどうでもいい。どうにでもなれ。
「克志……」
「ん、ふっ……はぁ……」
 苦しいだろうに、両手を添えて懸命に喉奥まで咥えこんでくる。その健気すぎる姿だけでもどうにかなりそうなのに、根元まで流れてきた唾液が濡れた音をたて、吐息に混じって聞こえてくるそれに聴覚からもやられそうになる。マジで凶器だ。
「んぅ……」
 だってあの克志が。気が強くて口も悪くて頼んでもやってくれるわけないと思ってた克志が。こんな顔上気させて苦しい思いをしてまで俺を気持ちよくさせてくれるなんて。
「もう、やば……」
 頭を突き放そうと手を伸ばすが、いやいやと拒まれ、上顎に先端が当たった瞬間、頭が真っ白になった。
「あっ――」
 どっちの声だったか分からない。口の中に出してしまった、と理解した瞬間、慌てて我に返って上体を起こした。
「大丈夫?!」
 肩を掴んで顔を覗き込むと、口を抑えていた手をしばらくして放し、潤んだ目で俺を睨んだ。
「……嘘つき。うまくねーじゃん」
 そう言って、唇を拭う克志の様子に。
「は? え……飲んだの?」
「……」
「克志……!」
 もう、どこまで予想外なんだよ……!
 脱力して思わず抱きしめると、克志は少し戸惑ったように身じろぎした。
「え、だってこれしたら普通飲むんじゃねーの?」
「普通って何……!」
 あーもうやばい、可愛すぎる。涙出る。
「でも、どうしたんだよ急に」
 まだ濡れてる口元を拭きながら聞くと、克志は居心地悪そうに距離を置こうとした。
「だって、お前だって……女の子にはしてほしいだろ」
「……」
 それって、もしかして。
「まだそんなこと考えてんの?」
『だって、女には勝てねーもん……』
 さっきそう言った泣き顔を思い出した。
「っ……」
 克志は無言のまま目を合わせようとしない。反応がないのはその通りということだ。
 なんだよそれ。相当やばい、俺の理性。さっきいったとこなのに。
「女の子になんてしてほしくない。克志にだけしてほしいよ」
 さっきまで俺を食べてた柔らかな唇を指でそっとなぞると、赤い目はおずおずとようやくこちらを向いた。
「……マジで言ってんの」
 本当、可愛い。
「マジだよ」
 こんなに克志のことしか考えてないのに、どうして不安になるかな。どうしたら伝わるんだろう。でも、あんなことできるくらい俺のこと好きでいてくれてるってことがわかってうれしかったけど。その行動力はいっそ男らしいよ。じゃあ俺もめげずに分かってもらえるまで分からせるしかないかな。
 そんなことを考えながらゆるゆると唇をなぞっていると、不意に開いて俺の親指を食んできた。ぬるりと舌が絡まる感触に背筋が震えた。
「克志……えろい」
「お前のせいじゃん……」
「へぇ、そうなんだ?」
 じゃ、責任取らないとね。
 そう耳元でささやいて、そっと体重をかけて克志をベッドに押し倒した、その時。
「―――あ、」
「え?」
「忘れてた」
 そう言って克志がズボンのポケットからくしゃくしゃになった紙を取りだした。
 これはなにか、嫌な予感が……
「今日また女子に渡されてさ、お前宛にラブレター」
「……克志……!」
 だからなんでそうなるかなぁ〜。
 もう怒る気にもなれなくて、とりあえず溜息をついて受け取った。
「……もしかして、今日帰り一緒に歩いてた子?」
 そうだったらいいなという願いを込めて聞いてみると、何で知ってんの、と顔に書いて克志が言った。
「見てたのか?」
「……」
 そうか。そうなのならまぁいいや。まぁ、良い気はしないけど。
「楽しそうにしゃべってたからさぁ。邪魔できねぇって思って見てた」
「なっ……」
 何で赤くなる必要がある。もしかしてやっぱやましいことが……とムッとしてると。
「お前のこと聞かれて、いろいろ話してたんだよ……」
「え?」
「その後で手紙渡して欲しいって頼まれたんだけど、でもあいつ付き合ってる子いるぜって言ったら、それでも一応手紙だけ渡して欲しいって」
「……」
 言ったんだ、克志。もう本当、予想外。
「克志っ」
「うわっ」
 ぼふっともう一度ベッドに倒して抱きしめた。
「うれしい、超うれしい」
 なんだ、わかってなかったのは俺のほうじゃないか。自分が恨めしい。今まで何を見てたんだろう。
 これからはもっともっと今まで以上に一緒にいよう。そしてもう疑う余地ないくらい好きなんだってことを分からせること決定だ。
「あーもう、わかったからっ」
 苦しいって、と背中を叩かれて、俺は少し力を緩めた。
「でもこれから俺宛の手紙渡されたら『俺と付き合ってんだから邪魔するな』って言ってくれたらうれしいな」
「……」
 調子にのんな、と怒られると思っていたのに、返ってきたのはまたもや予想外の返事だった。
「いーぜ。お前の方こそ後悔すんなよ」
「えっマジで?」


-END-