シャリンデイズ -2-

「俺、チャリ買うわ」
 ガコガコと鈍い音を出しながらペダルは回る。2人分の体重を乗せてだいぶ苦しそうだが、いやこれもきっと何かの訓練。この厳しい修行に耐え抜いたこのチャリはこの先きっと素晴らしい能力を手に入れることになるだろう。
「は? なんて?」
 その原動力であるテツが心持ち振り返るように頭を動かした。
「だから、チャリ買うって」
「何で?」
「いや、その質問はおかしいだろ」
 何言ってるんだこいつは。なくなったから買うって、俺当然のこと言ってるだけだよな。
「そんな金あんの?」
「そこんとこは親に借金済みだ」
 だっていつまでもこのままじゃいい加減不便だってのはあるけど、一番面倒被ってるのは毎日俺を迎えにきて送り届けてるこいつなんだってことに、とうとう俺自身が負担を感じるようになってきたのだ。だって目の前で女の子の誘いを断ってるのを見てしまったら、面と向かって俺のせいだと言われてるようで気分悪いだろ、やっぱさ。
 確かに俺は昔からこいつにはワガママ言いたい放題だったし、こいつのヘラへラした顔に安心しきってずっとその調子でやってきたけど、でも、それって、なんか違うだろ。
 だってこのままじゃこいつ、彼女もできない。
 ……とか俺が考えてやってるってのにこいつは。
「何よ克志、俺のドライビングテクニックの何が不満だとゆうの?」
「わっバカ」
 テツが急にハンドルを揺らしたもんだから俺は思わずテツにしがみ付いてしまった。
 あぶねっ、車来てたらどーすんだ!
「超! 不満だっつーの!」
 怒鳴ってやるとテツはアハハと軽やかに笑った。
 こいつ、懲りてねぇ……!
 鼻をぶつけたブレザーから微かにタバコの匂いがして、俺は思わず背筋を伸ばした。
「もういい、俺代わる」
「あ、そう?」
 なんだろう、急に居心地悪くなった。
 いつもの場所を待たずにチャリを止め、俺たちは席を交代する。このままこいつに任せてたらどんな目にあうかわからんからな。
 ハンドルを持つ手を交代すると、テツが俺の隣でふと立ち止まった。
「克志」
「あ?」
 なんだよ、と見上げる。
 こうやって並んで立たれるといやでも身長差を思い知らされて気分は良くない。だって軽く5センチは違うのだ。ひょろひょろ自分ばっか伸びやがって。
 そんな足でペダルこぎにくそうにしてるのを、俺は知っていた。サドルの高さを俺に合わせてるのだ。自分のチャリなのに。
 たく、バカじゃねーの。なんでそんな無駄に甘いんだよ。だからこっちも甘やかされんだ。
「マジで買うのか?」
 テツが言った。
 長い睫毛を少し伏せ、前髪の下からじっとこっちを見てくる。あれ、この感じ。
「あぁ……」
 だって、こいつには、その方がいいんだよな?
 何でそんな目するんだよ。
「――付き合い悪すぎってお前が向こうのガッコで言われてんじゃねーか心配してやってんだよ」
 おら早く乗れ、と足を蹴ると、テツは渋々といったふうに後ろに座った。
 あーでも、なんだろな。俺も何でこんなに気遣ってやってんだろ。気持ち悪いな。昔はもっと……うん。こんなじゃなかった。
 振り切るように漕ぎ出すと、ぬるい風がふきぬけていった。もうすぐ夏だ。暑くなったらこんな二人乗りなんてさらに暑いことしてらんねーよな。
「克志」
「あ?」
「買わなくていーじゃん」
 不満そうなテツの声。
「しつこいな、なんなんだよ一体。俺はお前が大変だろうと思って――」
 突如腹に腕が回ってきた。
 暑苦しい、と言おうとした途端……
「ちょ、危ねっ――!」
 あっという間に視界が揺れて――暗転。
 黒トンボくん、男子2名と共に見事撃沈……
「……いっ……」
 道路じゃなくて街路樹側に倒れたのはよかったものの、慌てて受け身を取ると思いきしコンクリに腕を打ち付けてしまった。久々だぜこんな痛みは……高校に上がって落ち着いたからな。って言ってる場合じゃない。
 これはひどい災害だぞ、人為的にもほどがある!
「てめ、ふざけんなよこのっ……」
 ボケ! と言おうとしたら、一緒にこけたはずのテツがいつのまにか目の前に居て、というか明らかに目の真ん前に居て、俺はなぜかもう一度地面に押し倒されていた。
「――――?!」
 これは、どういうことだ。何かの陰謀か? 誰の差し金だ?
 テツはその……唇を重ねたまま、きっと砂だらけに違いないその手で俺の髪に触れた。
 何、この展開。
 一ミリも動けない俺からテツが離れる。そうして目をあわすことなく、俺の右肩に額を押し当てた。
「ずっと、俺が迎えに行くからさ」
「……は?」
「だから、買うなよ」
 視界の端でカラカラ回ってた車輪がようやく止まる。
 意味わかんねぇ。行動と言葉が一致してねーだろ。
「……何で?」
 何で迎えに行きたいのか……何で、キスしたのか。とにかく、こいつの言動全てがわからない。しかも、こんな道端で……
 そうだ道端じゃねーか思いきり!
 ぶおっ、と車道を車が通り過ぎ、俺は慌ててテツの腹を蹴り飛ばした。
「てめコラ、通行人の方々の邪魔になるだろ!」
「じゃずっと迎えに行ってもいい?」
「わかった、わかったから!」
「ほんとに?!」
「あ……」
 しまった。
 にかー、と笑って、テツが立ち上がった。
「ヤッタね〜」
「……つかお前、それが言いたかったのか? 俺にこんな怪我させてまで……!」
 どういう了見だ、そら!
 拳を握り締める俺に、テツはてへって感じの笑みを見せた。
「自分、不器用ですから」
「……!」

 不器用にもほどがある!



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