■旦那様の恋人 ――その後運転手様と


「――何やってんだ、神田」
 ドキ、とまた心臓が縮んだ。
 厨房で牛乳を準備していたところに、黒崎がやってきたのだ。
「竜臣様が眠れないとおっしゃるので」
「ふぅん」
「黒崎さんもいります?」
 風呂上がりだろうか、黒のタンクトップで肩にタオルをひっかけている。相変わらず、良い体付きだ。
「いらん。俺は酒が欲しい」
「はは、勝手に飲んだら野原さんに怒られますよー」
 ってあの人が怒ったところ見たことないけど。
 笑いながら鍋に火をつける。ふと視線を向けると、テーブルにもたれた黒崎は腕を組み、監察するようにこちらを眺めていた。視線を意識すると急に緊張感が増す。
 しまった、普通に会話ができるのがうれしくてつい忘れていた。今まで素っ気ない態度しか取られてなかったから、本音を言うと少し辛かったのだ。
 竜臣様はああ言っていたけれど、この人は本当のところ一体どうなんだろう。
「あの、一つ聞きたいんですけど」
「何だ」
「俺、よく睨まれてましたよね」
 好きなのが竜臣様でないというのなら、それが釈然としない。
「あぁ? そうか?」
「そうかって、自覚ないんですか?」
「普通だろ」
「……」
 普通。確かに怖い顔がデフォルトだけど。
 まだ釈然としない神田に、敢えて言うなら、と黒崎は顎の髭をさすって言った。
「竜臣様を睨んだことは何回もあるな」
「なっ何やってんですか」
 主人を睨むとか言語道断だろ。
「仕方ないだろ。お前が好きなんだから」
「なっ……!」
「お前、お人好しだからなぁ。主人だからってあんま気ぃ許すなよ」
「ななっ……!」
 やばい、黒崎さんってこんなこと言う人だったのか。
 お人好しだなんて言われたことないし。
「おい、鍋」
 沸騰してきた鍋に気付き、慌てて火を切った。
 蜂蜜を少し加え、小さなコップに少しだけ入れて味見をする。ふわん、と蜂蜜特有の香りとほのかな甘みが広がった。
「うまそうだな」
「あ、やっぱり飲みます?」
 振り返ると、肩をぐいと掴まれて……唇が重なった。
「っ――?!」
「……甘ぇ」
 言いながら、ざらついた舌が下唇を舐めた。
「く……黒崎さん……」
 逞しい体とコンロの間に挟まれて、俯くしかなかった。
 何だ、何が起こったんだ。ちょっと理解が難しい。蜂蜜のせいか、頭がふわふわするし――
「あと、隙見せすぎだ」
 ちゅ、と音を立てて首筋にキスされた。
「んっ――」
 変な声を出してしまった口を思わず手の平で抑える。やばい、泣きそうだ。
 スッと耳元の髪を梳かれた。おずおず見上げると、柔らかく細められた目が向けられていて、ゆっくりと手が離れた。
「――おやすみ」
「お……おやすみ、なさい……」
 
『今後、しっかり自分の身を守るように』
 竜臣の言葉が脳裏をよぎった。
 ―――やっぱ筋トレ、はじめようかな……



■END■