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「ちょっと古賀さん」 もうこれ、こいつの口癖だな。と内心ぷぷっと笑ってしまった古賀だったが、現実はそれどころじゃなかった。怖い顔で目の前に立ちはだかるのは一人の男前。 「おっす、東条」 「何で昨日と同じ服なんですか」 ろくなあいさつもナシ。不機嫌満載な顔で彼は言う。 古賀は苦笑いするしかなかった。 「泊まり込みだったんだよー。今日納品のが直前になってバグってさぁ。まぁなんとかなってよかったけど」 だから実質ほとんど寝てないのだ。睡眠不足の頭でへらっと笑うと、見事に大きな溜息がふってきた。 「なんで連絡くれないんですか」 あぁ、そこにも怒るわけか。次々と怒られるから一体どこが一番の原因なのか些か掴みにくい時がある。確かに、この案件は今日東条も一緒に納品に行く分なので関係ないわけじゃないけれど。 「あぁ、まぁ納品までにはなんとかなるだろって思ったし……」 「だから、なんとかならなかったらどうするつもりだったんですか」 それでも今日納品できる自信はあったし、昨日は東条が帰った後だったのでまぁいいかという思いがあったわけなのだが。それを言うとさらに怒られそうだからやめておいた。 確かに、結果はどうであれ連絡はするべきだったかなと反省する気持ちも沸いてきた。 「そうだな、ごめんな」 するりと謝罪の言葉を紡ぐと、見上げた先では形の良い眉がひそめられた。 何より、朝からこいつの不機嫌な顔を見たくない。別に笑顔が見たいと思ってるわけじゃないけど。 許してもらえるかな、と表情を伺うと、東条はふいに気まずそうに視線を逸らした。 「別に、怒ってるんじゃなくて――」 「古賀さぁん!」 どっ、と体当たりして背中に抱きついてきたのは、後輩の野村だ。 「マジありがとうございました、助かりましたよー! 俺もうクビかと思った……!」 「お前、おおげさだなぁ」 つか同じく貫徹のくせにテンション高いな。 バグは野村が担当していた部分だった。しかしチームプレイにそんなことは関係ない。関係ないチームの加藤までひっぱりこんでなんとか一晩で解決させたのだ。加藤にはまた飯でも奢ってやらねば。 「ってお前、何自分だけ着替えてんだよ」 ふと野村を見ると、さっきまでとは違う服である。自分は昨日と同じだというのに。 「俺いつも着替え置いてるんすよ。ほらやっぱ男のたしなみつーか?」 「そうか、えらいなぁ」 身だしなみに気を遣う奴はやっぱちゃんと考えてるんだな。 しみじみ感心していると、背中から重みが消えた。 抱きつく野村を引きはがしたのは東条だった。さっきより不機嫌な表情になっている。そしてそれをおもしろそうに眺める野村。 「あ、東条さんいたんですか」 「……」 通常よりS度が増しているのは寝不足のせいであろう。 何れにせよ、東条をさらに怒らせてしまったのはよろしくない。 「あー俺、着替えてくるから。納品10時からだったよな?」 確認すると、東条はむすっとしたまま答えた。 「11時です」 「あー、そうそうそうだった」 「……」 「や、大丈夫大丈夫。ちゃんと行けるから」 まずい、絶対怒ってる。 朝から怒られっぱなしというのは、さすがにこたえる。ただでさえ体力消耗しているのに。 野村が口を挟んできた。 「ちょっと仮眠取った方がいいんじゃないですか?」 「だったらお前もだろ」 「じゃ一緒に寝ます?」 やだよ、と即答しようとした古賀の腕が引っ張られた。 「古賀さん、行きますよ」 「えっ?」 痛いくらいに掴まれた腕。そこから瞬時に熱が頭まで回ってきて、さらに足元がふわついた。 強引にひっぱっていかれたのは会議室だった。今日は午前中会議で使う予定が入ってないので多少休憩に使っても大丈夫だということで、椅子を3つ並べて強制的におやすみ体勢。少しでも寝ないと連れて行きませんとまで言われてしまった。まったく、どちらが年上か分からない。 「東条、怒ってるよな? ごめんな」 「……」 怒らせるつもりなんてないのになぁ。って、日々怒られるのは前からなんだけど。しかしその現状にも変わりがないということは成長がなさすぎて情けなくなってくる。 恐る恐る、隣に立つ東条の反応を窺うと。 「だから、怒ってんじゃなくて……」 「……?」 怒ってるんじゃないならその不機嫌な表情はなんなのだ。じっと次の言葉を待っていると。 「心配してるんですよ」 「東条……」 若干早口で言われたその一言を、思わず頭の中でリピートしてしまった。心配、こいつが。なんだ、そうか。 前だったら絶対に口に出さなかったであろうことを、最近は少しずつ教えてくれるようになった。それがすごくうれしい。 さっきまでもやもやしていた気持ちが一気に晴れてしまった。我ながら単純だ。 「ありがとな」 やっぱ、好きだなぁ。 と、それはさすがに恥ずかしくて口には出せなかったけれど。 自然と出てきた笑顔で見つめていると、東条は気まずそうに顔を逸らした。顔が赤い。 「あぁでも、さっきの野村のことは怒ってますけど」 「はぁ? 何で」 「何でって、何ベタベタさせてんですか」 「べたべたって何だよ。別に普通だろー」 「全然普通じゃないですよ。しかも恋人の目の前で」 「こっ……」 今度はこっちが赤面してしまった。まったくこの子は、すぐ照れるくせにどうしてこういうことはさらりと言えるのか……うれしいけど。 「わ、悪かったよ……あいついつもあんな感じだからさぁ……」 と言ってから失言だと気付く。 「いつも、なんですね」 「あーいや、その、なんだな……」 東条の手が髪に触れ、思わず過大に反応してしまった。一瞬だけ触れた手がひっこめられた。 「あ……」 まずい。 「俺が触ると逃げるのに、あいつは大丈夫なんだ?」 「いやいや、そういうんじゃなくて……」 もう何度目か分からない自分の反応に、そうなるのも無理はないかもしれないけれど。実際、初めてキスをして以来、かれこれ一カ月は経つが進展はない。自分が触られる度にそんな反応を示すのが原因か、とも思うのだが一方、本当は東条が後悔してるんじゃないのかと、思わない気持ちもなくて。 信じてないというか、自分に自信がない。でも、失いたくない。傍にいてほしい。その手に触れていたい。そうは思うのに反射的に避けてしまう理由なんて、実に単純だ。 「お前に触られると、やばいんだって……」 顔の上に腕を置き、視界を塞ぐ。こんな情けない顔見せられない。 「何がですか」 「……」 何がって、どう言えばいいんだ。どきどきして、くらくらして、緊張で死にそうになるとか、30超えた男が言ってていいんだろうか、とか、そんなことを思ってると、東条の意地悪い部分が出てきた。 「ちゃんと分かるように説明してください」 「うっ……」 何その仕事口調。分かるようにって、無理に決まってるだろ。そもそもお前は慣れてるだろうから、こんなの理解できないに決まってる。それに対して自分なんて全然経験少ないし、そういうことも大学以来とんと御無沙汰だし…… 「古賀さん」 「あーもう、しょうがないだろ、好きな子に触られるのなんて慣れてないんだから!」 勘弁しろよ……泣きそうだ。そういえば気持ちがばれた時も恥ずかしさに泣きそうだった。悲しいとか辛いとかでは最近泣かないのに羞恥でのみ泣くってどうなんだろうか自分。 「あぁもう……!」 感情を抑えたような低音が聞こえて、古賀は塞いでいた目を少し開いた。 「東条……?」 何かまた怒らせたのか、と不安になった瞬間。 「んっ―――」 跪いた東条が覆いかぶさってきた。紛れもなく、キスされている。肩に触れる手に反応する隙もなかった。 斜めに重なった唇は少し強引に古賀の両唇を割り、求められているのがわかる。怒ってるわけじゃないのかと思うと安心して、髪をなでてくるその腕に思わずきゅっとしがみついてしまった。 「――っは……」 やっぱりクラクラする。頭が機能しないままぼんやりと見上げると、伏せた切れ長の目が見下ろしてきた。 「寝てもらわないと困るのに……古賀さんのせいですよ」 「え? あ、ごめん……?」 俺のせいか? と思ったけどどうでもよくなってきた。その目が、恥ずかしいくらい優しかったから。 東条が立ち上がった。 「一時間ほどしたら起こしにきますから」 「あ、あぁ……わかった」 スッとシャツの襟を正した東条はもう何事もなかったかのように、いつものクールな表情を取り戻している。この違い。ずるいったらない。こっちはまだこんなに熱に浮かされているというのに。寝不足のせいもあるけど。 会議室のドアの前で、東条が立ち止まった。 「古賀さん」 「ん?」 「今夜空いてますか」 「あぁ、飯? 呑み?」 「じゃなくて」 「ん?」 「慣れるまで触らせてもらいますから」 「……!」 バタン、とドアが閉まった。 良いも悪いも、返事を聞く前に出て行ったということは、拒否権はないということか。 「あいつめ〜……」 そんな寝られなくなることを言い残して去っていくなよ。酷い奴だな。 誰も見てないというのに、火照る顔を腕で隠してしまった。 |
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■つづく■ |