■Crash 送別会裏話...

「加藤、今日は飲む日?」
 送別会は課長の要望により行き慣れた駅前の居酒屋で行われた。座敷の個室に18人。2列に並べた机には2/3以上が男という開発部社員が思い思いに座っている。
 末席に座っていた俺の左隣は古賀だ。会社でも隣の席でここでもかという気もしたが、飲むと厄介なことになる三浦課長からできるだけ離れておきたい気持ちは互いに重々了解しているのでそこは目を瞑ることにして、俺は付き出しの里芋を摘みながら古賀の問いに首を振った。
「いや、やめとく」
「ふぅん」
 そう言うと古賀は俺のグラスにウーロン茶を注いでくれた。
 酒は全然飲めないことはないのだが、飲むとすぐに眠くなる。今日も帰ってからネットゲームに興じる予定なので初めから飲まないと決めていたのだ。互いにゲーム好きな身であるのでそういうところは理解があって楽だ。方向性は違うが。
「お前は?」
 お返しに何か注いでやろうと訊ねたその時、恐れていたことが起った。
「おいお前ら! ちゃんと飲め!」
 三浦課長だ。2人の間に割り込んできて、有無を言わせず古賀のグラスにビールを注いだ。その顔は既に真っ赤。
「誰の送別会か分かってんだろうな? あぁ?」
「わかってますよ、課長。課長がいなくなったら明日からどうしようかって不安になってたんですよ」
「そうだろそうだろ。今になってありがたみを知ったか」
「やだなぁ、前から知ってましたって」
 よくやるなぁ、とそのやりとりを横目で眺めながら、グラスを持って飲むフリをした。自分には無理だが、古賀はたまにそういうご機嫌をとるようなことを言う。それでも嫌味な感じがしないのはしつこくないからか、性格の雰囲気故か。たとえ冗談でも自分は言う気はしないが。
「まぁ後任者はいるし大丈夫だ。とにかく飲め!」
 注がれて仕方なく古賀はビールを飲んでいる。
「東条にもよく言っとかないとな」
「え、何で東条なんですか?」
 課長の言葉に、古賀が目を開いた。
「何でってそりゃ……」
「東条さんがどうしたんですか?」
 斜め向かいに座っていた、野村と同期の伊瀬夏美が耳聡く食いついてきた。どうやら東条に気があるらしき女子だ。見ていて分かる。鈍い古賀は気付いてないと思うが。
「どうって、どうもないよ」
 笑ってごまかしながら古賀はビールを飲んだ。その隙を見て課長がまたグラスに注ぐ。あーあ、とそれを眺めていると、伊瀬がほろ酔いの笑顔で言い出した。
「東条さんって本当かっこいいですよねー。ねぇ古賀さん、東条さんって営業先ではどんな感じなんですか?」
「どんな? どんなって……」
 目が泳いでる。またビール飲んだ。あ、また注がれてるし。馬鹿だな。
 妙な期待のこもった伊瀬の目に、古賀はヘラッと笑って応えた。
「普通に格好良いよ」
「やだー超見たい!」
 やだー超寛容。感心するよ。あんな態度取られてそんな風に言えるなんて。俺ならまぁ無理だな。
「格好良いだって! 東条さん喜ぶでしょうね!」
 と次は野村が話に割り込んできた。
「俺なんかに言われて喜ぶかよ」
「そりゃ喜ぶでしょ」
「だな」
 野村と課長が同意する傍から伊瀬が口を挟んできた。
「でも東条さんって古賀さんにだけなんだか口調が厳しいですよねぇ」
「そうなんだよなー。なんか嫌われてんだよなぁ」
「どうしてですかねー」
 確かに俺も始めはそう思っていた。事あるごとに嫌味を言われている同僚に腹が立ったりもしたものだ。以前は。
「大丈夫ですよ古賀さん、嫌われてなんかないですって」
 野村が励ます。おそらく野村も分かっているんだろう。そして多分、課長も。
「そうかぁ? でも今日も廊下で会った時シャツの襟曲がっててだらしないって怒られたし」
 いや、そもそも嫌ってる相手の面倒をそんなに見るわけないしな。そういうとこに気がつかないのだから鈍いことこの上ない。
「こないだ電車で一緒に外出た時も、おばさんに席譲ったらすげぇ怒られたし」
 確か、その日は納期間に合わなくて前日から徹夜だったからだろう。ふらふらな体調で朝出かけて行った姿を俺も覚えている。
「岡部さんとしゃべってたら邪魔されるし」
 総務の岡部さんは社内一の美人で所謂俺らにとって高嶺の花である。なもんだから彼女と話す用事ができた時なんていうのはまたとないチャンスなのだ。なのにその場面を邪魔したということは、まぁそういうことだろう。
「俺、なんか悪いことしたかな?」
 そう言って古賀が捨てられた犬のような顔で俺に訊ねてきた。意外と長い睫毛はまだ濡れてはいないが、いつのまに飲んだのかその顔はだいぶ赤い。いやしかし俺に聞かれてもな。
「別に、お前は悪くないんじゃないの」
「そうですよ古賀さん!」
「いや、お前が悪い!」
 一人輪を乱す男、三浦課長が悪い顔で再びビールを酌んできた。だめだ、この人ももうだめだ。相当酔ってるし、ただでさえ古賀をからかうのが好きな性格だから酔って情け容赦なくなっている。しかし古賀はそんないい加減男の言葉を間に受けて「やっぱり!」とグラスを一気に飲みほしてしまった。
「おい古賀、大丈夫か?」
 あーあ、知らねぇぞ。
 ダン、とグラスを置いた古賀の目は据わりかけている。
「あーもう、何がダメなんですかね……」
 さすがに可哀想になってきた。今まで東条にきついこと言われてもいつも飄々と返していたから安心していたが、意外と気にしていたんだな。まぁ、鈍いお前が悪いと言えば悪いのかもしれないが。
「駄目じゃないですよ! 古賀さんは全然ダメ人間なんかじゃなんです! 俺は好きですよー!」
 こいつ何気に酷いな。先輩をダメ人間呼ばわりか。
 やれやれ、とため息をつく俺の目の前で古賀と野村は抱きしめ合っている。何だこの光景。
「みなさーん、そろそろ一次会はお開きにしようと思いますので……」
 幹事の声が掛かって〆の挨拶が始まった。
「おい、二次会行くぞ、カラオケだ! 加藤、ちゃんと古賀連れてこいよ!」
「えぇ? まじっすか……」
 勘弁してよ。こっそり帰ろうと思ってたのに。
 ゲーム、間に合うかな……





「――カラオケ着く前から意識やばかったんだな、思えば」
「そうですか」
「ま、それからはほとんど寝てたけど」
「分かりました。ありがとうございます加藤さん。とりあえず野村を厳重注意ということで」
「あれ、2人で何やってんの?」
 珍しいな、と笑顔で近づいてきた古賀に、俺はどう取り繕おうかと思っていたが、東条はいつものような少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「えぇ、古賀さんがどんなに俺のこと好きかという話を伺ってました」
「なっ?!」
 おぉ、いい度胸してんな。開き直った男は怖い。
 若干赤らんだ顔を困ったようにゆがめながら、古賀は否定するのかと思いきや。
「何で加藤に聞くんだよ」
「え?」
「そういうことは俺に直接聞けよな」
 ……うわぁ。
 古賀の赤い顔をまじまじと見つめて、東条はこっちが恥ずかしくなるような笑みを見せた。
「分かりました。これからはそうしますよ」
 春だ……春が来ている。
 あまりの温かさにちょっと気が遠くなりかけたが、一応ツッコミだけはしておくことにする。
「あのー、ここ食堂なんですけど」




■END■