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「あっれ、もしかして……桜木?」 「そういうお前は……藤木」 思わず同じノリで返してしまった。咄嗟に後悔し、桜木陽一は眉を寄せた。 忘れもしないこの顔。まさかもう一度会うことになろうとは。 「何してんだぁ? こんなとこで」 「何って、決まってるだろう」 ここはカラオケ店。そしてこいつ、藤木尚也はまさに今その店員として目の前のカウンターに立っている。記憶の中と比べると、少し硬そうなその髪は若干長く、より明るい色になっている気がする。 予想通り、藤木は驚いた声を上げた。 「って、一人で?」 イラッ。眼鏡越しに睨む。 「そうだ。悪いか」 「うわ、相変わらずだなー」 「お前も相変わらずだな」 能天気な顔で笑いやがって。お一人様カラオケの何が悪い。 仕事後のカラオケは陽一の日々の楽しみであった。週に3回程度、帰り道にあるこのカラオケで一時間歌って帰るのだ。一人であることが重要なので職場の人間にも言っていない。自分だけの癒しの時間を他人に邪魔されたくはないのだ。 というのに、今日のこの再会は一体どんな神のいたずらか。と普段神など信じていないのに思ってしまうほどに動揺していた。昨日まではほとんど大学生のバイトの女の子で、顔見知りにもなっていたのに、その子は今日はいない。やめたのだろうか。そしてなぜいきなりこいつなのだろうか。 そもそも、藤木尚也は高校の3年間ずっと同じクラスで、そしてずっと仲が悪かった人間であった。 「えーもう10年ぶりかぁ? 今何やってんだ? サラリーマン?」 陽一のスーツ姿を見て藤木は言う。 「そんなもんだ。市役所だが」 「公務員か! うっわ、超イメージぴったり」 「お前はフリーターか」 「おーよ。ココは今日からだけどな」 いつまでもお気楽な学生気分か、と昔の自分ならそんな減らず口の一つや二つ普通に吐いていただろうが、10年もご無沙汰だったせいか、それとも大人になった証拠か、口にする気にはならなかった。けれど、喧嘩ばかりしていた記憶しかないためにどうもしかめっ面になってしまう。 本当にあの頃は顔を合わせれば喧嘩ばかりだった。外見も性格も学力も体力も全てにおいて正反対な2人は、放っておけば接点なんぞなくそれぞれの世界でそれぞれの道を生きておればいいものを、なぜかそうはいかなかったのだ。学年一の秀才で冷徹と恐れられつつも頼られていた桜木と、サッカー部のエースで男女問わず人気のあった藤木。10年経った今の状況ですらまるで正反対である。それがまさかこんな再会を果たすとは。 気分がそがれた。 今日は帰るか、と方向を変えようとすると、 「何だよ帰んなよ。歌ってけって」 と腕を引っ張られた。 「……」 調子が狂う。喧嘩もせずにどう接していいかわからないのだ。しかし唯一の癒しの時間をこいつに邪魔されるというのも気に食わない。 「じゃあ、1時間で」 メンバーズカードを出して渋々そう言うと、藤木は部屋番号が書かれたプレートを手渡した。 何だあの笑顔は。 お互い目立つ存在だった。だから嫌でも視界に入ってくるし、文句も言いたくなるのか、まぁ今考えれば若かったなぁと思うのだが、二人が接触して嫌な雰囲気が流れればクラスメイトは猿カニ合戦ならぬ藤桜合戦が始まったと遠巻きにしていたものだ。それに対して「何で桜藤じゃないんだ」と文句を言っていたのも、まぁ若かったんだろう。 と思いだして束の間のことだった。 「何なんだおまえはっ」 「まーまー、気になさらずに」 「気になるから言ってるんだ! そもそもバイト初日のくせにこんなサボって、クビになっても知らないぞ」 「へー、心配してくれてんだ?」 「は? 馬鹿かお前、初日にクビになったらとんだ間抜けだなと言ってるんだ。そもそもお前は昔からそうやっていい加減でこっちも迷惑してたんだ」 「そんなヘマしませんよ。俺だっていろいろ学習してんだよ、誰かさんと違って机の上以外でね。いつまでも同じだと思うなよ桜ちゃん」 「ちゃんを付けるなと言ってるだろう。そしていい加減に出ていけ」 「いいじゃん、久々なんだし積もる話も」 「あるか馬鹿」 冷たく言い切って、陽一は全くもって理解できないという顔で部屋に居座る店員を睨んだ。注文もしていないのに勝手に入ってきたのだ。そして一緒にカラオケしに来たかのようにソファに座っている。何だこの状況。図々しいのは昔から変わっていないようだ。 しかし癒しの時間を邪魔されてたまるか。店長でも呼び出してやろうか。そう思っていたが。 「いやーでもマジで懐かしいな」 そう言って屈託ない笑顔で見上げてくる藤木に、不思議と気をそがれてしまった。溜息をついて、陽一もテーブルを挟んだ向かいのソファに腰を下ろした。 「似合うな、スーツ」 通勤服である普通のネクタイ姿をまじまじ監察された。 「何だ、気持ち悪いな。嫌味か?」 「んな捻くれて取んなよ」 しかし10年ぶりの藤木はまるで掴みどころがない。高校の時はそんな褒め言葉の類なんて交わしたことは一度もなかったというのだ。そもそも初めて交わした会話が『何でそんなサラリーマンみたいな頭してんの?』だったし。『お前は野良犬みたいな頭だな』と返して喧嘩が始まったのは一年の時だった。それから3年間何の縁があってかずっと同じクラスだった。 「しょっちゅう来てんの? ここ」 単に話好きか、旧知としゃべりたいだけなのか、藤木は相変わらず女にもてそうな顔を陽一に向けてきた。 「まぁ、たまにな」 「一人で?」 「その方が落ち着く」 「ストレス発散ってやつ? 大変なんだな、公務員も」 「今の時代どこも大変だろう」 本当に調子が狂う。藤木がいる前で歌を歌う気にもなれなくて、選曲するリモコンを手元に置いたまま、やれやれとソファに凭れた。 「で、お前は何でバイト暮らしなんだ」 自分だけ聞かれるのも癪だと思って尋ねたのだが、予想以上に相手を喜ばせてしまったようだ。よくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに藤木が身を乗り出してきた。 「それがさー、大学出てから料亭で修行してたんだけど、そこの娘さんと問題起こしてさぁ」 「お前……本当にどうしようもない奴だな」 「あっ違うって。妊娠とかじゃなくて。告られて俺が断ったら親方まで激怒でさ。ありえねぇっしょ。で、辞めたのが最近。次んとこ見つかるまでの繋ぎでここ選んだってわけ」 「本当か?」 「うわー信用ねぇなー。今嘘ついてもしょーがねぇだろ」 まぁ確かにそれはそうだ。でも藤木は高校の頃からもてていたから、具体的に誰と付き合っていたとかは知らなかったが、そういう意味ではかなり遊んでいるイメージがあった。でも料理人というのは結構大変な仕事だと思うし、それを目指しているのだと思うとうっかり見直してしまいそうになる。 「サッカー、やめたんだな」 「何、もしかして実は応援してくれてた?」 藤木が笑った。 サッカー選手に、俺はなる! と言っていた彼をうっとうしいと邪険にしていたのは自分だ。そんなことよりもっと頭を鍛えろ、とよく詰っていたような記憶がある。だけど今ふと気になってしまったのは事実だ。妙に気まずくなって陽一は視線を逸らした。 「お前の応援なんて、そんな時間の無駄使いなどしない」 やや無理やり捻り出したセリフに、返ってきたのは軽い笑いだけだった。 「なー、一番はじめに声かけた時のこと覚えてねぇ?」 「は?」 積もる話を、と言いながら、昔話をするつもりだろうか。というか一時間で取ったルーム料金どうしてくれるんだ、と言おうとすると、先を越されてしまった。 「入学式の日にさ、話しかけても反応ねぇから俺言ったじゃん。『俺らみたいなレベル低い奴らとは口もきけねーんだってー』とか」 「あぁ、あれがはじめか」 てっきり髪型の件だと思っていたが、あれは入学式後だったか。確かに友人達とものすごく嫌味ったらしく言っていた気がする。 「あれさぁ、実はすげー寂しかったんだぜ」 「……は?」 何だその告白は。思わず目が点だ。 「構ってほしいっつーの? ひどいこと言ったら何かは反応返ってくるかなーと思ってさぁ」 「ちょっ、ちょっと待て」 何だか聞くに堪えなくて思わず遮ってしまった。何その小学生男子レベルのいたずら心。 そうだ、あの時は確か、入学式の代表のあいさつを頼まれていて。 「寝不足でぼうっとしていて、聞こえてなかったんだ。それにお前に声かけられるとは思ってなかったし、気のせいかと思って……」 「え、そうなん? つか何で気のせい?」 藤木はきょとんとした顔を向けてきた。何で、と問われれば昔なら絶対言えないことだったろうが、向こうの出方に調子を狂わされたせいか、もういいかという気になってくる。 「だってお前、俺とは全然違うだろ」 「何が」 「何ってだから……世界が」 だって入学当初からその存在は違っていた。明るくて見た目も派手であっという間に友達を作ってしまうような藤木に対して、勉強一筋で固くて面白い話もできない自分。一線を置いてしかるべき存在だった。 その時はそんなあからさまな喧嘩を売られたのは初めてだったために何も言えず、無視するという形を取って終わった。ただ敵として決定づけられたのみだった。 ええー、と藤木がしみじみつぶやいた。 「そうなんかぁ。そうとは知らずにだいぶ酷いこと言ったな」 「いや、もういいから、昔の話は」 今更どうこう言われるのはかなり気まずい。と思っているのに藤木は話を続ける。 「体育祭のリレーでもさぁ、お前のせいで2位だってだいぶ責めたじゃん。あれ、ほんとは結構どうでもよかったんだよな。それよりも無理言って入ってくれたのに、よくやるじゃん、って感心してたのが本音」 一年の時の話だ。確かに本番当日リレーメンバーが一人急に風邪で休み、委員長なんだから代わりに走れと藤木に強引に命令されて仕方なく入ったことがあった。『あーあ、1位取る自信あったのに』という嫌味ったらしい言葉に『考えなしに決めるからだろうが』とこっちも負けじと言い返していたが、本当は。 「まぁ俺も、リレーなんか滅多に出る機会はなかったから、楽しくなかったといえば嘘になるが……」 「マジで?」 あの時陽一を責めてたのは藤木一人だったし、クラスメイトには良くやったと褒められて、なかなかいい思い出だった記憶がある。 「そんで文化祭の時もさ、お前劇でシンデラレの意地悪なお姉さん役やってた時、意地悪役はピッタリだけど女装キモイとかって俺言ってたじゃん?」 「あぁ、あったなそんなことも」 それは二年の文化祭。女子がいるんだから女子にさせればいいところを、なぜだかクラスが盛り上がって断りきれなくなったのだ。勉強しか取り柄のない自分が多少でも盛り上がる手伝いができるならと引き受けたのだが、女装姿を見た藤木には爆笑された。 「けど実は、結構可愛いじゃんって思ってたし」 「はあ? 可愛いわけないだろ」 「いや可愛かったって。お前眼鏡で隠れてるけど結構綺麗な顔してんだなってそん時思った」 「そっ、そんなの……俺だってお前の王子役、大根王子呼ばわりしてたが、結構格好良いって思っていたし……」 「うそ、マジで?」 王子役とかただ目立ちたいだけだろと思っていたけど、練習とか意外と真面目にこなしていて、やるなと思っていた。まさかこっちもそんな風に思われてるとは思ってなかったけど。 「つか、もうやめろ、恥ずかしい。何言ってんだ」 「あ、あとさぁ」 まだ言うか、と若干熱くなる頬を頬杖でごまかしていると。 「三年の時、お前と仲良かった女子に俺が告ったことあったじゃん」 女子と付き合ったことはなかったが、一緒に学級委員をしていた女子とは委員会の用事やらで遅くなった時はたまに一緒に帰ることもあった。何を誤解したのか、付き合ってんだろ、と噂されたこともある。やけに絡むな、と思っていたら、その後で藤木が彼女に告白したと聞き、だからか、と思っていたのだが。 「あれ、嘘」 「は?」 「別に彼女のこと好きでも何でもなかった」 「どういう、ことだ……?」 「嫉妬してたんだよ」 「嫉妬?」 「お前が女子と仲良いから」 内緒話でもするかのように、声のトーンが落ちた。いや、内緒話だ。内緒にしておいた方がよかった話だ。そうに違いない、けど。 「……」 一瞬にして記憶がフラッシュバックする。それは卒業間際のことだった。かさぶたが剥がれ落ちるようにぽろぽろと出てくる記憶。 「俺だって、彼女が断ったと聞いて、ほっとしていた……」 その下に隠れているのは一体何なのか。 「彼女が、お前の彼女にならずに済んだことにじゃなくて……」 お前が彼女の彼氏にならずに済んだことに。 「桜……」 いつの間にか藤木が隣に座っていて、陽一はばっと立ち上がった。 「なんてな! 気のせいだ!」 「もう無理、もう聞いちゃったもんね」 「っ……!」 照明は暗いが果てしなく赤い顔をしているに違いない。もしかして人生初かもしれない赤さに頭すらくらくらしてくる。だいたいこいつが、こいつがおかしなことを言いだしたから……! 「なー、それってどういう意味?」 顔が近い。見たことない、真剣な目から逃げようとすると腕を掴まれた。 「どうっ、て……」 「もしかして……」 と言いながら、腕を引かれ、顔が近づいてきて……唇が触れた。 「……アタリ?」 「……」 いつになく近い位置にある目。そんな風に柔らかく細められたそれを見るのは初めてかと思ったが、違った。見たことがある。卒業の日に。 「あー、もう無理。触らせて」 「なっ……」 視界が揺れて、気付けば天井を向いていた。重い体重が容赦なく圧し掛かってきて抱きしめる腕が回ってきた。 「卒業の時、ほんとは言いたかったんだぜ。けど絶対嫌われてると思ってたから……怖くて」 耳元にでささやかれる声にぶわっと全身の毛が逆立った。 そして、思い出す。 「や、俺も、ボタン……うれしかったし」 卒業式の日。 『お前の第二ボタンなんて誰もいらねーだろ』と無理やり取られた時に、『だったらお前のもよこせ』とこっちも無理やり取ってやったのだ。藤木はもてるからどうせ女子に奪われるだろうと思っていたのだが、何故か奪われることはなく、結局自分のものになってしまった。実はそれは今でも机の引き出しに。 「なぁ、今更だけどさぁ、もしかしてずっと両想いだった?」 「うっ……」 恥ずかしすぎる。けれど、はがれたかさぶたの下からはごまかせない気持ちが出てきてしまった。10年越しの真実。 しかし、もう一度近づいてくる端正な顔を見て、いや待てそんなわけはない、と陽一は首を振った。よく考えろ、おかしいじゃないか。 「嘘だ、そんなわけない。お前、もてるくせに」 「はあ? そんなの関係ねーよ」 藤木の体を押しのけて起き上がろうとするが、もう一度倒されてしまった。ソファが軋んだ音を立てる。 「俺さぁ、何人女の子と付き合っても、なんか違うなぁって思ってたんだよ。今日やっと理由分かったわ」 一人うれしそうに語る藤木に、陽一は冷たい目を向けた。 「何人も、付き合っていたんだな」 「……あ、妬いてる?」 言われて気付いて、再びボッと顔を赤らむ。もう駄目だ。重症だ。 「うっわ……桜、可愛い」 「なっ、馬鹿なこと言うな!」 恥ずかしい。こいつが言うと尽く恥ずかしい。 「だってマジでかわ」 「わーもうやめろ!」 思わずその口を手で塞ぐと、手の平に音を立てて口づけされた。 「おまっ……」 「ごめん、やっぱ好きだわ。もうひどいこと言わねぇから、付き合って?」 くらくらする。10年前とはまるで別人のような熱い目に奪われるように見入ってしまう。おかしい。カラオケに癒されに来たつもりが、どうしてこんなとんでもない状況に。 「ダメ? 俺のこと嫌い?」 「……」 そして一番理解できないのは、そんなとんでもないセリフに思わず、うなずいてしまう自分自身だったりするわけで。 「まぁ、俺も……好き、だし……」 「桜っ……!」 表情が見えなかったのはキスされたからだ。散々人を驚かせることを吐いたその口はものすごく熱くて想像したこともなかったその感覚に流されそうになるのを寸でのところで陽一は、耐えた。だって、時と場所を考えよう。 「んっ……お、まえ、いい加減仕事戻れよっ」 「は? 何だよ雰囲気壊すなよ」 「雰囲気も何も、仕事中だろ!」 「えええー」 「えーじゃない、心配してるから言ってるんだ!」 「やっぱ心配してたんだ?」 「うっ……」 そうだ、はじめに指摘されたことは悔しいが正解だったのだ。 「仕方ないなぁ……」 不満そうに言いながらも渋々体を起こし、藤木は陽一の濡れた唇を指先で拭った。 「でもマジで、今日会えて良かった。なんか運命感じるよな」 「たまたまだろ。お前も、俺と二度と会うことなかったら普通に結婚でもしてただろうが」 「……妬いてんの?」 にやりと藤木が笑い、陽一の目がつり上がった。 「早く戻れ!」 「ひどい、俺は優しいのに桜は相変わらずヒドイ! こんなに好きなのは俺だけなんだ……」 「なっ……馬鹿、俺だってお前のこと……」 「っ、桜……!」 思いっきり期待した目で見つめられて、陽一はハッと我に返った。 馬鹿なのは自分だ! 明らかに流されてるから! 「続きは?」 にやにやと笑う目の前の男に、陽一は頭突きをプレゼントした。 |
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