■スマイル∞円

「――なぁ、何で?」
 ガタン、とロッカーが音を立てた。
「うっせぇな……どうでもいいだろ」
 睨み合う二人の男。一触即発の雰囲気が漂う。
「よくねぇから言ってんだけど」
「てめぇ、いい加減にしろよ」
「それはこっちのセリフだろ」
「しつこいんだよ、てめぇは」
「お前が素直に見せてくれないからだろ。何で駄目なんだよ」
「何でもクソもねぇよ。誰が見せるか、そんなもん」
「何だよそれ、他の奴らには見せてるくせに」
「仕事だから当然だろ。いい加減にしねぇと殴るぞマジで」
「あー殴ってみろよ。チーフに『本番前に荒木君に殴られました』って報告するから」
「ふん、ガキだな」
「ガキで悪いか。俺もいい加減我慢の限界なんだよ」
「知るかそんなもん。勝手に限界突破しとけ」
「突破した俺は怖いぜ? いいのそれでも」
「いい。つかどーでもいい」
「ちょっと何そのやる気のなさ。ていうかマジ見せてくれよいいじゃんちょっとくらい」
「言い飽きたけどもう一度だけ言ってやる。断る」
「何だよ、ケチ! いいじゃん笑顔くらい見せてくれたって―――」

「はいスタンバイしてー始まるよ!」
「はーい」
 チーフの声がした瞬間、鳩尾に一発食らわされた。
「っ! てぇ〜……」
 手加減なしかよ、おい。
 そして目も合わせずに捨て台詞。
「マジでうざい」
「……うざ……」
 うざい、ウザイ、U・ZA・I……でしょうね。自分でもそう思うもの。でも誰のせいですか誰の。
 目の前をオレンジと黒のひらひら衣装が通り過ぎていくのを涙目で見送っていると、かぶっていたとんがり帽子がポンと叩かれた。
「おい田中、行くぞ」
「……へいへい」
 同僚の声に、田中邦晴は渋々、腹をさすりながら立ち上がった。
「しっかしお前、本当にしぶといやつだなー」
 もうどっちが可哀想なのかわかんねぇよ、と笑われてしまった。そうそう、こんなさりげない感じでいいんだよ、笑顔なんて。贅沢なことなんて考えちゃいない。それが何故伝わらないかなぁ、あの荒木君には。


 一歩外を出た瞬間からそこは別世界だと思わなければならない。現実でないという意味ではなく、別の人間を演じる必要があるからだ。
 華やかな音楽と電飾を施した神輿車のようなフロート、そして大勢のダンサーの衣装は今はハロウィンパレード仕様のものである。ここはとあるテーマパーク。そして午後15時パレード開始時刻。田中もその一員として定められた位置に付き、腹の痛みに耐えつつ笑顔を振りまいていた。
 アルバイトとしてここに努めてもう半年。裏方で雇われたつもりが人手不足のせいでパレードにまで出るようになってしまった。本来ならダンサーはオーディションで決まるものなのでその波をくぐりぬけてきた人には悪い気もするが、しかし超脇役なので許されているのが現状なのだろう。大勢の客に愛想振りまくのは大変だが、しかし意外とアドリブきくということも分かって楽しくなってきたところである。もともと子供相手は嫌いじゃないし、こっちが何かすると結構反応返してくれるので可愛いものだ。しかし―――腑に落ちないことがただ一つ。
「なんだろうかあの豹変っぷりは……」
 田中の視線は一つ前の、馬車に乗ったお姫様をモチーフにしたフロートについて踊るダンサーに集中してしまっていた。
 控室で問い詰めていた荒木誠である。可愛い衣装もしっかり着ちゃって、あの時のしかめつらが幻覚だったのかと思ってしまうような満面の笑みを、観客に向けて踊っているこの現状。それを見て。
 ――やっぱかわいーわ。
 と、常々思っているのだ。田中は。
 いや、20代も半ばの男に対してそれはないだろと思う気持ちはあるが、正直、初めて見た時から思っていた。自分と違ってオーディションで勝ち抜いてきた彼はダンスもとても上手く、笑顔もとっても素敵で、一般客の中に女性ファンまでいるほどだった。今だって手を振った先の若い女の子達にキャーキャー言われている。がしかし。
「何故それを俺に見せない……!」
 ある時、舞台裏で軽い調子で言ってみたのだ。『なぁ、笑って』と。するとあろうことか、殴られた。『何で?!』『お前、きもい』ウザイとかきもいとか、本当傷つく……傷つくんだよ一応。いくら「体力仕事ならなんでもお任せ」な田中君でもその心臓は少女のように繊細なんだよ。と言ったらまた殴られたけど。
 だって本番以外では一切笑顔を見せないのだ彼は。本番では近くで拝めないのだから、今一度ちゃんと見たいと思って何が悪い。しかしよくよく監察していると他の同僚らとはたまに笑い合ってる時もあって、そこからだ。田中がむきになり出したのは。冒頭の会話はもう何度繰り返したことか。しかし進展はまったくなし。ここまでくると一体何で駄目なのか何が駄目なのかどうやってでも問い詰めたくなってきた。だって別に恋人になってほしいとか言ってるわけではないのだから、それくらいいいと思うんだけど。そう、ただ笑顔が見たいだけなのだ。鑑賞したいだけなのだ。そこんところをどうしたらわかってもらえるものか。
 パレードは少し移動して止まり、踊り、そしてまた少し移動する、の繰り返しだ。止まった隙にまたもや前のお姫様フロートに視線を馳せ、荒木の笑顔を盗み見ていたが、ふと何だか妙な違和感を感じた。何だろう、動きにいつものようなキレがない気がする。
「おい、行くぞ」
「うおっ」
 監察してたせいで進んでいたのに気付かなかった。慌ててメンバーを追いかけるはめになってしまい、目敏い観客に笑われてしまった。そういう時も田中は「ま、人間らしくていいよな」といつも前向きなのだけど。


「お疲れー。衣装はちゃんと定位置に戻すこと。じゃあ明日もよろしくお願いします」
「はーい」
 40分ほどでパレードは終わった。男女別に控室へ戻り、何十人もの中で着替えながら荒木の姿を探していると、先に戻っていた同僚の山本が声をかけてきた。
「この後は?」
「んー、ラストまで売店のヘルプ」
「オールマイティだな」
「出来る男はつらいよ」
「俺は帰るよ」
「コノヤロー」
 この男もアルバイト仲間で、歳も近くて話しやすい人間だ。
「なぁ、荒木今日おかしくなかった?」
 これだけのメンバーの中で全員が全員の名前を覚えるのは無理だが、荒木のような主要メンバーとなれば大抵の者は知っている。というか主に田中が妙な迫り方をしているという意味で有名なのだが。
 すると山本は意外な返答を返してきた。
「お前、今日くらい絡むのやめてやれよ」
「は? 何で?」
「知らねーの? 落ちたんだって。オーディション」
「……マジ?」
「まじ。大本命って言ってたやつだから、かなりきてるだろうな。さっきはがんばってたけど」
 ここで働くダンサーの中には、将来本気でダンサーや俳優を目指している者も少なくない。荒木はその内の一人だった。もし受かればこの仕事やめるのか、と寂しく思っていたのだが、まさかそんな結果になっていたとは。しかも今日。知らずにパレード前、いつもの調子であんなことを。
「まじかよ……絡んじゃったよ、既に」
「あーあ、かわいそ」
 だからあんな手加減なしだったのか。
 思い出すとまだズキズキ痛む気がする腹をさすりながら、パレード中の笑顔を思い出して言いようのない気持ちになってしまった。



「あいつもそれならそうと言やあいいのに……」
 まぁ、あいつから話しかけられることなんてないんだけどな。
 と自分で考えて虚しくなってしまった。
 自分でも何だかわからなくなってくる。どうしてそんなにむきになるのか。たった一人の男の笑顔が自分にだけ向かないということにどうしてそこまで固執してしまうのか。だって自分女の子好きだし、ホモではないし。と思ってるんだけど。
「――お、」
 腹ごしらえのために寄った食堂で、窓際のテーブルに意中の人物を発見した。夕方の時間なので人はまばらで、6人がけのそのテーブルは荒木一人だった。食べ終わったあとらしく、頬杖をついて何やら雑誌を読んでいる様子。
「おつかれさん」
「……」
 田中がきつねうどんのトレイを向かいの席に置いて座ると、頬杖の姿勢は変えないまま視線だけが嫌そうに投げつけられた。
 嫌われてんなぁ、と思わず苦笑してしまう。
「んだよ」
「いやぁ、別に」
 もう本当、無愛想。今がこうでどうして本番であんな笑顔が出るのか不思議で仕方ない。そしてどうしてこんなに執着してしまうのか。俺はこういう顔が好みなのか? まぁ確かに整った部類だけど、女みたいに細いわけでもないし、何より今こんなに可愛げないのに……ギャップってやつか? そうなのか。
 しみじみとその顔を眺めていると、先手を制するように荒木が言った。
「笑わねーぞ」
「あー……」
 さすがに、あの話を聞いたあとじゃそんなことは言えない。本番前のことも謝るべきかとも思ったが、今になって謝るというのも恥ずかしいものだ。
「言わねぇよ」
「……」
 意外だったのだろう、荒木は少し目を見開いた。また笑いそうになるのを抑えて、田中は割り箸を割り、いただきますと手を合わせた。ここのうどんは実家のに似て出汁が甘めだから好きだ。
「まぁ、あれだ……がんばったな」
 荒木がすぐに立ちそうだったので、思わずそんなことを言ってしまった。だって、辛いことがあったのにも関わらず本番でのあの笑顔。いつもとの違いに気付いたのは仲間くらいだろうし客に見せるレベルとしては問題ないだろうし、それでこそプロ根性だ。
「……」
 妙な沈黙に、思わずフォロー。
「あ、別に上から目線で言ってるわけじゃなくてだな」
「んだよ、お前……」
「え?」
「やっぱ、うざい」
 やっぱそうですか。ははは、と空笑いを浮かべて、でも一応ここは下手に出ておく。年上の余裕というやつだ。
「それはごめんなさいね」
「んだよ……」
「ん?」
 ちょっと声が震えてると思うのは気のせいか。俯いてるせいで顔が見えないが、何か様子がおかしい。
「荒木? どうし……」
「何でもない」
 何でもないようには見えない。
 箸をトレイに置き、その前髪にそっと手を伸ばすと、ビクッと荒木は肩を震わせた。噛みしめた唇、一瞬こっちを向いた目が潤んでいるのが見えた。
「……」
 こんな顔、初めて見た。
 心臓が不自然な音を立てる。髪を撫でると、熱があるのかと思うくらい熱い皮膚が指に触れたが、実際どっちが熱いのか分からなかった。
 あ、何だかやばい気がする。つーか俺、そういうことだったのか。
「っ……離せよ」
 やっぱり声が震えてる。
 だってそうだろ。笑顔だけが可愛いと思っていたはずなのに、こんな泣きそうな顔でも愛しいと思うなんて。
「泣けよ」
「はぁ?」
 我慢するなという意味で言ったのだが、当然睨まれてしまった。
「お前、笑えとか泣けとか……何なんだよ一体」
 まぁ確かにそうだけど、でも。
「何だと思う?」
「っ……」
 ずるい返し方をすると少し赤くなった目が睨んできた。
 こんな顔も、全部可愛い。ということは、あれだ。
「お前の全部が見たいんだよ」
「は?!」
 あ、驚いた顔も可愛い。
 などと思ってると、荒木は真っ赤になって椅子から立ちあがった。
「へ、変なこと言うな、変態!」
 そう言い放ってバタバタと食堂から走り去ってしまった。明らかに動揺したその姿に。
「うわー何あれ……」
 やべ、超可愛い。あぁなんで今まで気付かなかったんだろう、と笑いが止まらなかった。
 もしかして初めて笑顔見た時既におちてたんじゃないのか。今さら気付くなんて我ながら間抜けすぎる。
 まぁでも、すっきりした。
 ニヤニヤを隠そうともせず田中は、明日からは違う迫り方で行こう、と期待に胸を膨らませるのだった。




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