■あなたとコンビに

「ハールー。はーるーたーくーん……ってコラ何寝てんだ!」
「……あ〜……千葉……?」
「てめー人が差し入れ持ってきてやったというのにいい度胸だな、あぁ?」
「やー、寝てないよ、ぜんぜん……」
「汚ねぇツラして説得力ねーんだよ。おまえ、本番3日後ってわかってんのか?!」
「うん……わかった」
「今分かったのか?! とっとと起きろ!!」
 あーこんなことならもっと早くくりゃよかった。
 ゲシゲシと背中を蹴飛ばすと、ようやくそのでかい体がもっそりと起き上がった。
「もー、いたいなぁ」
 ぼりぼりと頭をかいて大欠伸。蹴られても特に怒った様子のないぼんやりとした長身の男、春田広樹に、千葉優はいらっと目を細めた。机の上に開げてあるネタ帳は真っ白。とても進んでいるようには見受けられない。本番はもうすぐ。非常にやばい。
「あーもう、大丈夫かよマジで」
「だよねぇ」
 そういう春田には緊張感はてんで見られない。
「おまえなぁ……!」
 なんでこんなぼんやり男が相方なんだろうと何回思ったことか。まぁ今そんなこと考えても仕方ないんだけど。
 というか、ネタに惹かれて漫才の相方になってくれと結成を申し込んだのは他ならぬ自分なのだから、文句を言える立場ではないのだが。

 出会ったのは養成所だった。まだコンビを組んだことのなかった千葉が、在学中に同じく一人だった春田のネタに惚れこんでコンビ結成を申し込み、かれこれもう2年。春田の方は以前コンビを組んでいたらしいのだが、別れた理由などは踏み込んで聞いたことがなかった。
 普段は本当にぼんやりで頼り無いのに。
(こんなんでも、ネタはイイんだよなぁ)


「つーか、千葉も一緒に考えてやれよ」
「んあ?」
 そう言ったのは春田ではなく、一緒に部屋を訪れた杉原だった。養成所時代の同期である。
「できねぇもんはできねぇんだよ」
「いばることか?」
「……なんで杉原、いんの?」
 今更ながら来訪者2人目の存在に気付き、春田が眠そうな目つきで言った。
「捕まったんだよ、千葉に」
 千葉は持ってきた差し入れ袋から一本缶ビールを取り出し、
「だってお前がネタ考えてる間俺一人だとヒマだろ。お前の部屋なんもねーし」
「うわ、ちょっとそれはないわ。千葉ひでー」
 春田の代わりに同情する杉原を「うっせー」と無視してビールを飲みだした。当の春田は机のノートにだらっと顔をくっつけて、気の抜けたように笑うだけ。
「やーもう慣れたしなー。あ、コーラある?」
「ほい」
「サンキュー」
「杉原もまぁ飲め。家のだから遠慮すんな」
「いいよな、家が酒屋で」
「ばかやろ、働いた正当報酬だぞ」
「今日も配達?」
「おーよ。ったくあのジジィ、宅配が間に合いそうにないとか言って俺に県外までいかせようとしやがるし。原付でしんどいっつーの……って、ちが――う! こんな世間話してる場合か!」
 グシャっと早くも飲みほした缶をへこまして千葉が床を叩いた。
「ネタだろ、ネタ! お前もしかして昨日からずっと寝てたんじゃないだろーな?!」
「……そんなわけないじゃん」
「真顔で嘘つくのはこの顔かぁ〜!」
「いて、いててっ」
 頬を抓ると本気で痛がって春田が逃げた。逃げられると追いかけたくなるというのが習性と言うもので。
「ん、なに?」
「……」
 伸びた長い足に跨り、千葉はその顔を覗き込んだ。うっすら髭は伸びてて、前髪もぼさぼさで長いけど、よく見ると顔の作りは整っている方だと思う。
 千葉は心底疑問を覚えて言った。
「なー、何で俺がイケメン役なわけ?」
「えぇ?」
 コンビは特徴が分かれていた方が覚えてもらいやすいと春田が言い出して、春田がぼさぼさ頭の冴えない役、千葉が髪もセットして普段眼鏡なのにコンタクトにもしてイケてるメン風な役で分担していたのだが、事実逆でもいけるんじゃないかと思っていた。
「俺、実際そんなもてねぇしな」
 千葉が言うと、杉原の方が驚いた。
「へぇ、自覚あるんだ!」
「てめぇ自分の顔鏡で見てからそのセリフ吐きやがれ」
「ちょっとヒドイ!」
「でもまじでさ、お前も髪なんとかして服もちゃんとしたらイケると思うんだけど」
 そう言って前髪をいじる千葉の手を、春田が捕まえて笑った。
「千葉、女の子好きだろ」
「へ? 嫌いなわけねーじゃん」
 あまり堂々と言えないが、芸人になりたかった理由の一つにはやっぱもてたいからというのがあるし。
「だったらそれでいーじゃん。逆にしたらもてなくなるよ」
「じゃあお前はもてなくていいのかよ」
「俺はまぁ、不特定多数は狙ってないし」
「何だそれ?」
 首をかしげていると、なぁ、と声がかかった。
「見てるこっちが恥ずかしいんだけど」
「――はっ」
 杉原に指摘され、なんだか恥ずかしいほど近づいて見つめ合っていたことが分かった。
「変なこと言うな馬鹿野郎!」
 見事な蹴りが杉原に向かった。
 口も悪いし手足も早い。じゃじゃ馬のような奴だと芸人仲間から呼ばれていることに本人はまだ気付いていなかった。


                      *****



「すげ……ウケてやがる」
 舞台袖まで聞こえてくる観客の笑い声に、千葉はぐっと手を握りしめた。自分たちが明後日立つ舞台である。この劇場では一日数回、本当のかけだし芸人からテレビに出てる芸人までがネタを披露していた。千葉達のような若手すぎる若手は数も多いので出られるチャンスも貴重で、絶対失敗はできないのだが。
「どうすんだよ、ネタ」
 隣に立つ春田の腕をつつく。今日は出番はないのだが、上の目を盗んで忍び込んでいたのだ。
 見上げると、あろうことか春田は欠伸をしていた。
「まぁ、今日中にはなんとかなるよ」
「てめ、その自信はどっから……!」
 頼もしいやら不安やら。
 苛々しながら楽屋へ戻りかけると、うしろから呼び止められた。
「おー、春田」
 振り返った途端、千葉はゲッと顔をしかめた。
「きてたのかよ。お前明後日だって?」
 さっき舞台でうけていたコンビだ。同期なので春田とも交友があるみたいだが、千葉にとっては気に食わない相手である。特にボケの成田。向こうもそれは同じらしく、千葉を見てふふんとそれはさぞかし嫌味ったらしく鼻で笑った。でもそんな態度は千葉にだけで、春田に対しては普通に話しかけている。
「大変だな、お前も。毎日子守なんてよぉ」
「はぁ? なんだって?」
 春田が言い返すより先に、子守という単語に聞き捨てならんと眉を吊り上げたのは当の千葉である。
「だってそうだろ? ネタ作り一切手伝わねぇで文句だけ言ってんだろ。よくこんなのと組んでんなー感心するよ」
「そ……」
 何か言いかける春田をまたもや千葉は遮った。
「そうだろ感心するだろ。お前らなんか2人寄ってかかっても出来たネタがあの程度だもんな。あ、もしかして嫉妬? そうか羨ましいのか! じゃあ妬むなら自分の貧相な発想力を恨めば? ま、今更脳みその大きさなんてどうしようもないと思うけどな〜あーカワイソウ」
「こんのヤロッ……!」
「あーはいはい、ストップ。通行人の邪魔だから」
 成田の相方の清水が、今にも掴みかからん勢いの成田の肩を掴んだ。
「すまんね、春田君」
 清水は同期とはいえ実年齢はかなり上なので冷静である。
「いえ、こっちこそ」
「お前は俺に謝れ!」
「何で俺が!」
 いがみ合う千葉と成田の声に、またか、という周りの目が突き刺さっていた。






「もうマジで腹立つ、あいつ!」
「や、向こうも相当腹立ってると思うぜ……」
「まだ言い足りねーよ!」
 言い切って千葉はドンとビアグラスを置いた。もともとうるさい居酒屋なので大して目立たないのが救いだ。テーブルの向いに座る杉原はやれやれとため息をついた。今日は杉原も控室にいて、あの場に近かったので一部始終聞こえていたのだ。あの毒舌はすべてのものを確実に敵に回すだろう。
「もう充分だろ」
「何お前どっちの味方だよ! ふらふらしやがって、優柔不断な奴だな」
 苛々の矛先が杉原にまで向かってしまう。しかしひらりとなんなくかわす杉原だからこそ、こんな風に一緒に飲んだりできるのだ。
「優柔不断じゃなくて中立なんですー。つーか、いいのかよ、春田んちにネタ作りにいかなくて」
「あぁ、なんか一人で集中したいからって」
「へぇ、めずらしい」
「やっとやる気出してくれてうれしいわ」
「お前さぁ……いいのか? そんなんで」
「何が」
「春田に任せっきりじゃん」
「……」
 改まって言われて、千葉はたこわさを食べる手を止めた。
 まわりにそう思われてるのはもう分かってる。けど、成田に言われようがどうしようが直すつもりはなかった。けど―――
「げっ、何でお前がここにいんだよ!」
「あっ」
 隣の空いていたテーブル席に座ったのが、よりによって成田グループだった。相方の清水は一緒でなく、千葉の知らない男二人と一緒のようだ。
 昼間が昼間だけに一触即発ムードが漂う。しかし一応社会人の端くれ、暴れてはいけない時と場所の分別くらいはつく。と思っていたのだが。
「こんなとこで飲んでていいのかよ」
 先制攻撃は成田だった。
「関係ねーだろ」
 無視しようと思っていたものどこへやら、反射的に返してしまっていた。
「人のこと心配してる暇あったら自分のビデオでも復習してれば? ま、改善出来る知恵があればの話だけどな」
「てめぇ言わせておけば……! ちまちまビールなんか飲んでんじゃねぇよ!」
「何ぃ、酒屋の息子によくそんなことが言えるな? よし焼酎もってこい!」
 酒屋の息子とか関係ないし、と突っ込みたい気持ちを抑えて、杉原は大きな溜息をついた。なんだか盛り上がってきてしまった。もう置いて帰っていいかな。そんな杉原を無視して始まる、千葉と成田の飲み比べ。オンザロック。
「もうマジでわっかんね。何で春田がお前みたいなやつと組んでんだよ」
 ドン、とグラスを置いて成田が言う。
「知るか。お前こそ何でそんなにあいつにこだわってんだ」
 そうだ、前から成田にはそこんところをねちねちと絡まれていた。今までは流していたが、やはりそういうことなのだろう。
「決まってんだろ、あいつはすごいんだよ。お前なんかにゃもったいねーんだよ」
「なんだ、ふられた僻みか」
「うっせぇ」
 そうだ、春田はすごい。なのに、どうして自分と組んでいるんだろう。
 今まで疑問に思わなかったことがふと浮かんできて、急に焦りがわいてきた。前はコンビを組んでいたみたいだが、解消した理由は? 本当はずっとピンでするつもりだった?
 何も知らない。
 増幅するもやもやした気持ちに俄かに焦りを感じはじめていると、一気にグラスを空にした成田が吐き捨てるように言った。
「お前なんか早く捨てられちまえ」
「……」
 珍しく千葉の口が止まったことに気付いたのは杉原だけだった。成田はまったく気付かない。
「何の役にもたたねぇお前なんか……」
「黙れ馬鹿!」
 ヒステリックな声が出た。
 瓶で殴りそうになった手を杉原が止めてくれたおかげで殺人には至らなかったが。
「わかってんだよそんなこと……!」
 酔っているのかなんなのか、いやでも下戸な千葉はこれくらいの酒で酔ったりしないはずなのだが、明らかにおかしい。真っ赤な顔で千葉は唇を震わせている。
「しょうがないじゃん、好きなんだよ……」
「え?!」
「俺は絶対、あいつのネタがいいんだもん……!」
「千葉……」
 あぁネタね、と納得するが、その涙目はボケ? いやでも千葉君ツッコミだよね、と杉原がおろおろしていると、千葉が勢いよく立ちあがった。
「俺、帰る」
「あ、おい……」
 慌てて杉原が追いかけようかと思ったが、意外としっかりした足取りだったのでやめた。
「あいつ……泣いてた?」
 そう言って、成田は幽霊でも見たかのような顔で杉原を見た。杉原は苦笑した。
「結構可愛いとこあるよな」
「かわいっ……くねぇ!」
「……」
 めんどくせぇなぁ、と杉原も焼酎を煽った。





「春田!」
「千葉?」
 いつものようにずかずかと部屋に入ると、千葉は持っていたビニール袋を差し出した。全部袋から取り出し、床に並べるのは缶ビールの数々。
 突然の乱入者に春田は持っていたシャーペンを置いた。相変わらずぼさぼさの髪、分厚い眼鏡スタイルで千葉を見上げる。
「なに?」
「ちょっと腹割って話そうぜ」
「は?」
 春田が酒を飲まないのは知っていた。でも飲めないのではなく飲まないらしいということは聞いていたのでいつかは飲ませてやると思っていたのだ。それがまさか、こんな本番2日前になるとは思ってなかったけど。
 タブを開け、強引に一本手渡すと、春田は戸惑いながらも受け取った。自分の分も一本開け、千葉は一気に半分くらい飲み干す。
「なぁ、お前、俺のどこがいいの?」
「……」
 いきなりすぎる質問に、無言になるのも無理はない。
「なぁ、飲めって、ほら早く」
「あのねぇ、俺酒ダメなんだってば」
「ちょっとくらいいいだろ! ケチケチ言ってんじゃねぇよ男のくせに!」
「ネタ考えられなくなるよ」
「だって俺このままじゃネタできねぇよ」
「なに、それ。どういうこと?」
「……」
 今までこんな気持ちになったことなんてなかった。成田がすごいすごい言うからだ。酔ってるわけじゃないのに、なんでこんな酔ってるような言葉がでてくるんだ。自分でも分からないが止まらない。
「お前、本当にすごいもん。でも俺は? 何があんの?」
「千葉のいいとこもたくさんあるよ」
「うそだ。なぁ、本音聞かせろよ」
「……」
「言えないんだ? 言うことないから? じゃ何で俺と組んでんの? 邪魔なだけじゃん」
「どうしたんだよ千葉、自虐的すぎ。あ、自虐ネタ?」
「ちげーよ、ちゃんと聞け!」
 ドスンとその胸を拳で叩くと春田のビールが揺れて少しこぼれた。シャツを掴んだまま、その水滴を追うように千葉は俯く。
「お前すごいからさ、俺なんか邪魔になって、どうでもよくなって、そんでいつか……いつか、俺なんか捨てるんだっ……」
「……」
 春田が黙り込んだ。あぁ何言ってんだろう。自ら壊してしまった気がする。ぐっと喉がつまり、目の奥が熱くなった。まずい。泣くとかそんなみっともないこと、こいつの前なんかでできない。
 慌ててシャツから手を離し、半ばやけっぱちな気分で千葉は言った。
「いい。分かった。別れよう。もう無理だ」
「ちょっと、何でそうなんの」
「だってこのままじゃ俺――」
「分かった」
「え?!」
 思ったより早く即答されて千葉は思わず顔を上げた。
 すると、無理やり渡した缶ビールを煽っている春田の姿が。
「……春田?」
 ごくごく、と喉を鳴らし、本当に今まで飲めないと拒んでいた人間かと疑ってしまうくらいになかなかの飲みっぷりで、なんと一缶綺麗に空けてしまった。
 呆気にとられていると、空き缶を床に置いたその手が、千葉の腕を掴んだ。
「――俺さぁ、酒飲んで酔っ払うと、本音が出るんだ。それで前の相方怒らせて、コンビ解散」
「え?」
「だから千葉と組んでから絶対飲まないようにしようと思ってたんだけど……本音、知りたいなら仕方ないよね」
「何それ、どういうことだよ……」
「だから、俺……」
 言ってる間にもその顔はどんどん赤くなっていく。その目が真っ直ぐに千葉を捉え、ぐらりと体が傾いたかと思うと、ごろんと仰向けに押し倒されていた。
「春……」
 た、と言いかけた唇が、塞がれた。
 ―――えええええ?!
「ちょっ、おまっ、何……!!」
 千葉は焦った。長い髪の下から自分を見下ろしてくるその目がやけに野性的に見えて、こんな見たことない雰囲気に対処の仕様が分からない。
 春田は千葉の両手を床に抑えたまま、猫が甘えるように頬をすりよせてきた。
「千葉が言ったんだよ、本音が知りたいって」
「そりゃ言ったけど……何お前、俺を困らせたいの?」
「はは、そういう鈍感なとこも好きだな」
「え、え?」
「好きなんだ、千葉のこと」
「……は?」
「だから、好きなんだ」
「……」
 思ってもみなかった直球な言葉。直球すぎて跳ね返って脳に届くまで少し時間がかかってしまった。そして理解した途端、あろうことか、ぶわっと涙がこみあげてきた。
「ごめん、ごめんね……きらわないで」
 焦った様子で謝る春田に、千葉は慌てて首を振った。
「いや……なんか、嫌われてないんだって思ったら、安心したっつーか……」
 そんな気持ち向けられて気持ち悪いとかよりも真っ先によかったと思ったのだから、我ながら有り得ないと思う。でもそれはごまかしようがない、というか、ごまかしても仕方がない。
 今にも泣き出しそうな春田にヘラッと笑いかけると、うれしそうな顔が近づいてきてもう一度キスされてしまった。眼鏡があたるのがもどかしいと思うほどすんなり受け入れられる自分に驚きだ。
「千葉……酒の匂い、すごい」
 背中に響くような低音で春田がささやいた。そんな声も初めて聞くもので、やたら心臓がうるさい。
「え、あぁ……成田と飲んでたから……」
 千葉の言葉に、春田の目が一瞬光った。
「何それ、何で成田?」
「何でって、たまたま店で会ったんだよ」
「駄目。あいつは駄目」
「は? だめって何が……」
「あいつ絶対千葉のこと好きだもん」
「はあ? お前だろ、好きなの」
 千葉が反論すると、わかってないなぁ、とため息をついてぎゅっと抱きしめられてしまった。
「千葉、可愛いもん。でもそんなの俺だけが知ってたらいい」
「お前なぁ……」
 恥ずかしいやつ、と顔を赤らめてしまったが、まだそれで終わりではなかった。
「ほんとに、俺だけに見えたらいいのに。俺だけの傍にいて、俺とだけしゃべって、俺だけに笑ってくれたら、俺もうほかになにもいらないのに……」
「うわー……それはさすがに」
 こいつ、酔ってるんだよなぁ、ということは分かるのだが……恥ずかしすぎる。絶対赤いであろう自分の顔を千葉は腕で隠した。
「可愛い、千葉……」
 ごそごそと音がしたかと思うと、真上にあると思っていた顔が腹部へ下がっていき……
「ちょっ……!」
 ベルトを外しながら千葉を見上げる春田の目はいつになく男らしさを纏っていて……身の危険を感じた。
「ほんと、可愛い。ねぇ、大好きだよ。千葉の体どろどろにしてもいい? どんなお酒よりも熱く溶かしてあげるから、俺と一つになろう……?」
「まっ、待て待て待て――っ!!」
 思わず出てしまった蹴りが春田の腹部を直撃した。
「あっ、」
 しまった力入れすぎた?! だって怖いんだもの!
 動かなくなった春田の顔を覗き込むと……どうやら寝ているようである。
「…………」
 ようやくおとなしくなったその姿に、千葉は大きな溜息をついた。
「あー、びっくりした……」
 まさか、春田がそんなこと思ってたなんて。いつもぼんやりしているだけかと思っていたら。
 でも、女の子が好きだったはずなのに……何でこんなにうれしいんだろう?
 寝こける春田の頬をつついていたが、千葉はハッと我に返った。
「本番明後日じゃん! おいこら春田起きろーーッ!!」

  

                    *****



 結局。
「うん、まーよかったんじゃない? ちょっとウケてたし」
「ちょっとかよ……」
「あんなもんだろ」
「うるせーよ成田!」
「何?! テメー人がせっかく……」
 また小学生レベルの口げんかが始まりそうな気配に割って入ったのは、珍しく不機嫌そうな春田だった。
「行こう、千葉」
「あっ、おい引っ張んなよっ」
 仲良く手をつないで去っていく2人を唖然と見送り、杉原と成田は顔を見合わせた。
「何あれ、ネタ?」
「さぁ……」


 2人の視線に気付きもせず、千葉と春田は劇場を出た。
「もうやだぜ、あんな台本」
「うん、気をつけるよ」
「まぁ今回は時間なかったしな……」
 酒飲ませて寝させたのは自分だし、そんなに強くも言えないんだけど。
 それにしても今回の台本はひどいものであった。
 春田のセリフの合間合間に『千葉、毒舌』という大雑把すぎる指定が書いてあるだけだったのだ。なんじゃこりゃ! という声も出るというものだ。
「でもちゃんとやってくれたじゃん」
 うれしそうな春田に、千葉は溜息をついた。
「だって、やるしかねぇだろ……」
 なんとか本番が終わって本当にほっとした。爆笑というわけにはいかなかったが、ぽつぽつ笑いがいただけただけでも良しとしよう。
「でも、なんかいつもより控えめだったね? 毒舌」
「……」
 指摘され、赤らむ顔を抑えられなかった。確かにそれは自分でも思った。でも。
「し……仕方ないだろ」
「え、何で?」
「あんなこと言ったお前に、そんな毒吐けっかよ……」
「……」
 すっと寄ってきた顔に気付いて、千葉は思わず平手打ちしてしまった。
「ちょっ、お前ここ外! また酒飲んだのか?!」
「飲んでないけど……千葉があんまり可愛いこと言うから」
 痛いなぁ、と頬を抑える春田を自業自得と無視して歩き出す。
「待ってよ、千葉、ごめんって」
「――お前さ……前の相方ともそういうことやってたのか?」
 それで嫌われて解散したのか? と尋ねると、笑われてしまった。
「違うよ。前の相方に隠してた本音はそういうんじゃないよ」
「じゃあ何?」
 思い出したくないんだけどなぁ、という雰囲気は伝わってくるが、そんな態度を取られると余計気になるというものだ。
 期待して続きを待っていると、春田はつまらなそうな顔で言った。
「はじめからあんまり合わない人間だったんだけどさ、すごいナルシストで俺の意見完全に無視してくるから、思わず出ちゃったんだよね」
「何が?」
「だから、本音が。そしたら次の日にそいつ養成所やめてさ、やむなく解散。まぁ俺にとってはありがたかったけどね」
「へぇ……」
 何を言ったのか、怖くて聞けない。芸人やめるほどの破壊力って一体……
「あ、大丈夫、千葉にはそんなこと言わないから」
 心中を読まれたようでドキッとしてしまった。
「べっ別にびびってるわけじゃ……あーでもお前やっぱ酒は控えた方がいいな!」
 前相方のように精神的ダメージを与えられる心配はないとしても、昨日みたいに迫られたら絶対身がもたない。
 おかしい。どんどん立場が逆転している気が……
 何か間違っただろうか、と頭を痛めていると、春田はうれしそうに笑い、手を繋いできた。
「じゃあ、飲まなくても触っていい?」
「は?!」
 ていうかもう触ってんじゃ……
「あ、コンビニ寄っていい?」
「の前に手を離せ――!」




■END■